※12月4日「マーケットの記事について」というタイトルでニュース内容をわたしなりに訳してみました。
今日はおかあさんの家で昼ごはんを食べた。午後に一緒に出かける用事があったしね。
しかし、そこでよからぬニュース。。。
「TTDIマーケットがなくなるかもしれない」
http://www.nst.com.my/streets/central/ttdi-market-relocation-sparks-protest-1.12118
どうすんだろう。。。
困る人たくさんいると思うんだけどな。
マレーシア情報がまだあるよ
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2011年11月29日火曜日
2011年11月14日月曜日
からっからの日本橋に魚
9月日本滞在中のこと。
お母さんと日本橋に行きました。
「こりゃ、なんなんだ?!」というぐらい照りつける太陽。
マレーシアで浴びる太陽より強烈な気すらするのは気のせいだろうか?
日本橋の欄干から見下ろせば水が見える。
上に通る首都高には水の波紋のようなデザインが。そんなこと今まで気がついたこともなかった。
予備校時代、建築学科志望の学生は竹橋辺りの首都高高架をデッサンなんかしていたっけ。
この辺りの首都高を地下にするなんて話を耳にしたこともあるけど、こういった配慮(波紋のデザイン)があったことも発展する時代と在りし日の姿を残そうとする努力が見えていいと思うんだけどな。
景観という点からは再考するというのもありなのだろうけど、このために用いられた技術などがまた歴史として残っていくのもありだろうと思う。
高校生時代、日本橋には東急百貨店があってそこの本屋では別マが立ち読みできた。今はコレド日本橋。
橋を渡ると見慣れた三越があったけど、その先は新しい立派なビルが立ち並んでいた。
そこにコレド室町っていうのができていた。
ここへ至る道すがらは、ニューヨーク金融街みたい(行ったことなんてないけど)?行き交う人も日本人ばかりでなかったしね。江戸時代ほどの活気があるのかは知らないけれど。
建物の中に入るとフロアごとの壁面はまさに水の波紋を表現していた。
素敵だね。
どんなにその土地が新しく生まれ変わっていっても、こういうところに重要なエッセンスが表現されている。
そこから少し歩いて金魚に関する展示を見た。
金魚らは何も知らずに泳いでいるし、訪れる人はひたすら写真を撮っているし、なんだか???
たしかに綺麗なんだけどね。
自分だって写真を撮るのだから他人ごとではないけれど、写真って記録に残すのにはいいけれど、肝心の自分自身の頭の中に残る量を少なくしてしまうのじゃないかと思う時がある。頭の中に残す努力をさせないというか。。。
そしてこの展示、金魚を見せているのだけど金魚の説明は少ないし、時代背景の説明も少ないし、おまけに飾られている浮世絵もコピーで額装も気を使ってなかったし、浮世絵の説明もなかったし、なんかスペースを埋めるのに必死なように見えた。
せっかく空間的な演出に金魚を用いているのに、全体感はいまいちだったなぁ。しかし、飲食店やホテルなんかにはいいアピールなんでしょうね。
こう考えてみると、美術館やギャラリーなどで大きな空間をもたすことのできる作品というのはすごいのかも。作品の大小にかかわらずね。
まぁ、わたし自身がそういうひいき目で見てるってことなんでしょうね。。。
お母さんと日本橋紀之重というところで遅いお昼を食べて帰宅。
やっぱり魚っておいしいね~
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お母さんと日本橋に行きました。
「こりゃ、なんなんだ?!」というぐらい照りつける太陽。
マレーシアで浴びる太陽より強烈な気すらするのは気のせいだろうか?
日本橋の欄干から見下ろせば水が見える。
上に通る首都高には水の波紋のようなデザインが。そんなこと今まで気がついたこともなかった。
予備校時代、建築学科志望の学生は竹橋辺りの首都高高架をデッサンなんかしていたっけ。
この辺りの首都高を地下にするなんて話を耳にしたこともあるけど、こういった配慮(波紋のデザイン)があったことも発展する時代と在りし日の姿を残そうとする努力が見えていいと思うんだけどな。
景観という点からは再考するというのもありなのだろうけど、このために用いられた技術などがまた歴史として残っていくのもありだろうと思う。
高校生時代、日本橋には東急百貨店があってそこの本屋では別マが立ち読みできた。今はコレド日本橋。
橋を渡ると見慣れた三越があったけど、その先は新しい立派なビルが立ち並んでいた。
そこにコレド室町っていうのができていた。
ここへ至る道すがらは、ニューヨーク金融街みたい(行ったことなんてないけど)?行き交う人も日本人ばかりでなかったしね。江戸時代ほどの活気があるのかは知らないけれど。
建物の中に入るとフロアごとの壁面はまさに水の波紋を表現していた。
素敵だね。
どんなにその土地が新しく生まれ変わっていっても、こういうところに重要なエッセンスが表現されている。
そこから少し歩いて金魚に関する展示を見た。
金魚らは何も知らずに泳いでいるし、訪れる人はひたすら写真を撮っているし、なんだか???
たしかに綺麗なんだけどね。
自分だって写真を撮るのだから他人ごとではないけれど、写真って記録に残すのにはいいけれど、肝心の自分自身の頭の中に残る量を少なくしてしまうのじゃないかと思う時がある。頭の中に残す努力をさせないというか。。。
そしてこの展示、金魚を見せているのだけど金魚の説明は少ないし、時代背景の説明も少ないし、おまけに飾られている浮世絵もコピーで額装も気を使ってなかったし、浮世絵の説明もなかったし、なんかスペースを埋めるのに必死なように見えた。
せっかく空間的な演出に金魚を用いているのに、全体感はいまいちだったなぁ。しかし、飲食店やホテルなんかにはいいアピールなんでしょうね。
こう考えてみると、美術館やギャラリーなどで大きな空間をもたすことのできる作品というのはすごいのかも。作品の大小にかかわらずね。
まぁ、わたし自身がそういうひいき目で見てるってことなんでしょうね。。。
お母さんと日本橋紀之重というところで遅いお昼を食べて帰宅。
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2011年11月8日火曜日
熱に浮かされたわけじゃないけど
お友達と例のMYDINにバティックを漁りに行きました。
やっぱり一人で行くよりも楽しい!
わたしはふたつ買いました。
何を作ろうかと思ってたけど、お友達の一人からヒントをもらって。。。
出来上がりに心が急いじゃうけども、ゆっくり。
お鍋ごと、または器ごと包めるバッグを作りました。(ポットラックパーティというのが欧米文化ではあるようで)
これでお料理も上手なら言うことないんだけどね。
もうひとつは、自分用ミニトート。リバーシブル。
こちらの面はイギリスで買ったファーニッシング用の生地。
こっちがMYDINで買ったバティック。
シャラシャラの糸でタッセルも作ってみた。
だんなさんのいないある日。
お友達のだんなさんの誕生日会に呼んでもらったので、ワインボトルバッグを急ごしらえ。
冷えたボトルには不向きな(だって布なんだ)ものだったかもしれないけど、受け取ってもらえました。
彼女の手作りのケーキはそれは素敵!!
まさかギリギリで作ったようには見えないほど!!
やっぱり誰かのために何かを作るというのは素敵なことだね。それは毎日のごはんにも言えることかもしれない。つい、作る時も食べる時も忘れてしまいがちなことだけど。。。
と同時に、学生時代に夜更かしして誕生日ケーキを作ったことを思い出したよ。
みんなの誕生日のケーキはどれも格段においしかったんだよね!!
みんなケーキ食べてる?
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やっぱり一人で行くよりも楽しい!
わたしはふたつ買いました。
何を作ろうかと思ってたけど、お友達の一人からヒントをもらって。。。
出来上がりに心が急いじゃうけども、ゆっくり。
お鍋ごと、または器ごと包めるバッグを作りました。(ポットラックパーティというのが欧米文化ではあるようで)
これでお料理も上手なら言うことないんだけどね。
もうひとつは、自分用ミニトート。リバーシブル。
こちらの面はイギリスで買ったファーニッシング用の生地。
こっちがMYDINで買ったバティック。
シャラシャラの糸でタッセルも作ってみた。
だんなさんのいないある日。
お友達のだんなさんの誕生日会に呼んでもらったので、ワインボトルバッグを急ごしらえ。
冷えたボトルには不向きな(だって布なんだ)ものだったかもしれないけど、受け取ってもらえました。
彼女の手作りのケーキはそれは素敵!!
まさかギリギリで作ったようには見えないほど!!
やっぱり誰かのために何かを作るというのは素敵なことだね。それは毎日のごはんにも言えることかもしれない。つい、作る時も食べる時も忘れてしまいがちなことだけど。。。
と同時に、学生時代に夜更かしして誕生日ケーキを作ったことを思い出したよ。
みんなの誕生日のケーキはどれも格段においしかったんだよね!!
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夜の街は明るかった
9月日本滞在中のこと。
帰ってきた翌日に友達が集まる手配をしてくれた。
土曜日の新大久保集合は想像以上のもので、小さな駅では辺りの湿度はさらに上がって人の垣根で会いたい人が見えないというね。
まぁ、わたしは会えたんだけど。
駅から店に向かう両脇の歩道も巡礼のように人が続いていた。所々で脇道に入る人もあるかと思うと、そこにはまた新しい人の列が見えた。
きっと以前より街の照明は暗いのだろうけど、人の多さとか食べ物を求める活気とかのせいか、テーマパークの大きな建物の中にいるような気持がした。
不思議な場所。
お店に入ると若い人がたくさん!
お客さんも若いがお店の人も若い。
夜の繁華街に出てみると自分が確実に歳をとっていることを思う。出かける街にもよるのだろうけど、土曜日夜(と言ってもまだ浅い時間)の新大久保ではわたしは年上だわ。
白菜キムチのようなんだけどちょっとちがう。
なぜなら、白菜は漬けられていないので生でシャキシャキ。
すごい辛い青唐辛子のチヂミなんかの他にもいろいろ食べたけど、話をしていたこともあって忘れちゃったな。
写真も白菜のしか撮ってなかったし。
ひとしきり食べて飲んで話してで解散。
わたしは新宿駅までYMちゃんとTDと歩いて行った。
歌舞伎町をまた1年ぶりに通ったけど、去年と変わらずだったような気がする。
たくさんの人がいる歌舞伎町でわたしにとってはダントツの存在感だった2人。
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土曜日の新大久保集合は想像以上のもので、小さな駅では辺りの湿度はさらに上がって人の垣根で会いたい人が見えないというね。
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駅から店に向かう両脇の歩道も巡礼のように人が続いていた。所々で脇道に入る人もあるかと思うと、そこにはまた新しい人の列が見えた。
きっと以前より街の照明は暗いのだろうけど、人の多さとか食べ物を求める活気とかのせいか、テーマパークの大きな建物の中にいるような気持がした。
不思議な場所。
お店に入ると若い人がたくさん!
お客さんも若いがお店の人も若い。
夜の繁華街に出てみると自分が確実に歳をとっていることを思う。出かける街にもよるのだろうけど、土曜日夜(と言ってもまだ浅い時間)の新大久保ではわたしは年上だわ。
白菜キムチのようなんだけどちょっとちがう。
なぜなら、白菜は漬けられていないので生でシャキシャキ。
すごい辛い青唐辛子のチヂミなんかの他にもいろいろ食べたけど、話をしていたこともあって忘れちゃったな。
写真も白菜のしか撮ってなかったし。
ひとしきり食べて飲んで話してで解散。
わたしは新宿駅までYMちゃんとTDと歩いて行った。
歌舞伎町をまた1年ぶりに通ったけど、去年と変わらずだったような気がする。
たくさんの人がいる歌舞伎町でわたしにとってはダントツの存在感だった2人。
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2011年11月3日木曜日
大切な目的は拍子抜け
9月日本滞在中のこと。
今回の日本行の第一目的は免許証の更新。
書類の不備がないかとか真面目に準備してからの帰国。
なにせ、結婚した時に免許証の本籍の変更をしてなかったのだ!ので、すごくドキドキしたけど戸籍謄本だけですんなり。よかった~!
念のためマレーシアの大使館で在留証明書までもらったんだけどね。
幕張本郷で見る車両はとても長くてなぜか関心してしまった。
そんな今年の我が実家はもりもりと朝顔が咲いていた。
もちろん、去年と変わらず暑い日が続いていたけれど植物はのびのびと生きていた。
同じ株から生まれているのにそれぞれに違うし、こんなに薄い花弁がいきいきとしているのが素晴らしいなと。
おかげで実家の庭の一角はもうもうとしていた。
庭のフェンス沿いにはまた違う朝顔が咲いていた。
こういった微妙な花の色をマレーシアで見ることがないせいかとても印象的。
マレーシアでは植物もとてもはっきりした色が多い。そのせいか、多くの服の色も微妙な色合いがあんまりない。もしかすると、染料のコストによるというところもあるのかもしれないけど。
古代から続くたくさんの色とともに新しく生まれていく色にはそれぞれ名前があるのだろうけど、そういうのってとても素敵だ。
四季のあるところではその心情が色の名前に反映されているのだろうね。
ところ変わって、マレーシアの我が家のバルコニーから。
かわいらしい朝顔が咲いた。
次回はもっと上手に育ててあげられるといいな。
日本に帰るたびに会う人々はたいてい変わらないけれど、日本の風景や空気は変わっていっている気がする。
単純に、自分がその場所に暮らしていないからという理由からかもしれないけれど。。。
それでも、東北地方ではないけれど、震災後初めて帰ると家族や友達が元気で暮らしていることに安心した、と同時に今までとは違う何かを感じようとしてしまっている自分があるような気がした。
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今回の日本行の第一目的は免許証の更新。
書類の不備がないかとか真面目に準備してからの帰国。
なにせ、結婚した時に免許証の本籍の変更をしてなかったのだ!ので、すごくドキドキしたけど戸籍謄本だけですんなり。よかった~!
念のためマレーシアの大使館で在留証明書までもらったんだけどね。
幕張本郷で見る車両はとても長くてなぜか関心してしまった。
そんな今年の我が実家はもりもりと朝顔が咲いていた。
もちろん、去年と変わらず暑い日が続いていたけれど植物はのびのびと生きていた。
同じ株から生まれているのにそれぞれに違うし、こんなに薄い花弁がいきいきとしているのが素晴らしいなと。
おかげで実家の庭の一角はもうもうとしていた。
庭のフェンス沿いにはまた違う朝顔が咲いていた。
こういった微妙な花の色をマレーシアで見ることがないせいかとても印象的。
マレーシアでは植物もとてもはっきりした色が多い。そのせいか、多くの服の色も微妙な色合いがあんまりない。もしかすると、染料のコストによるというところもあるのかもしれないけど。
古代から続くたくさんの色とともに新しく生まれていく色にはそれぞれ名前があるのだろうけど、そういうのってとても素敵だ。
四季のあるところではその心情が色の名前に反映されているのだろうね。
ところ変わって、マレーシアの我が家のバルコニーから。
かわいらしい朝顔が咲いた。
次回はもっと上手に育ててあげられるといいな。
日本に帰るたびに会う人々はたいてい変わらないけれど、日本の風景や空気は変わっていっている気がする。
単純に、自分がその場所に暮らしていないからという理由からかもしれないけれど。。。
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