もうだいぶ前のことになるけど、記録。
2月の終わりから2週間ほど開かれていたNational Craft Day 2011というのに出かけた。
マレーシア全土から伝統的な工芸を中心としたものが集められ、訪れた人は製品を買うこともできるし、ワークショップも参加できるし、食べ物も楽しめる。
クアラルンプールでも工芸品を買うことのできるところはあるけれど、この機会のように色々な地域のものをまとめて見ることができるのはあまり多くないのだと思う。ここに並ぶ製品の多くはマレー人やボルネオ島に住む民族の伝統を受け継ぐもので、インド系やチャイニーズ系に属するものはまったくといっていいほどない。(National Craft Dayと言ってるが)
まず初日に一人で行ってみた。
学校単位で来ている学生が多かったけど、ここでもマレー系の子達がほとんど。それから、マレーシアでは当たり前かのように「まだ準備中です」の雰囲気。で、当然、案内パンフレットもまだなかった。
クラフトセンターの建物だけでなく、テントも張られていてそれは大規模なもの。屋外では料理もしている。これは竹にご飯をつめて調理してるとこ。
テントの中はテキスタイル、金属製品、陶器製品、木製品、ワークショップ、デモンストレーションなんかに分かれていて、地図をたよりに巡っていく。
銀製品を作っている(修理かも)ところ。
このコンパクトな作業机はいいよね。
鞴ですね。
ここはデモンストレーションのテント。
マレーシアの工芸だけでなく、ウズベキスタンのバティック、フィリピンやバングラデシュのテキスタイルなんかもあった。制作している人は長年の職人さんも多かったけど、National Craft Instituteの学生がその技術を披露しているものもあった。やっぱり制作風景を少しでも目にすると、量産される工芸(この場合は民芸に寄ってるのかも)製品は決して高いものではないのかもしれないと感じる。
数日後、おばさんとおかあさんともう一回。
おばさんはパッチワークのためのバテッィク生地を探しに来た。バティックと言っても、地方によって描かれるモチーフに違いがあったり制作方法に違いがあったりする。日本の染物と似ているようなものもある。機械で量産された製品と手作業で作られた製品には違いがあるけれど、どちらにもいいところがあると思う。
魅力的なものはたくさんあったけれど、買ってどうするかがないとやっぱり買えない。
籐や竹を使った製品はたくさんある。日常に使うような細々したものが多くて買っている人も多かった。今思うと、日本へのおみやげとかによかったかもなぁ。
3人で散々歩いたけど、すべてまわりきらずに帰宅。家で遅い昼ごはんを食べた。
おばさんの話では、このイベントは以前に比べてもずいぶん宣伝をがんばるようになってきたらしい。それでも、来場者の多くがマレー人であり、もっと様々な人に知られるようにできるはずじゃないかとも言っていた。それから、こういう機会に製品を買うことは生産者へのサポートにもなると言っていた。
なんと、その数日後に3回目!
おばさんが家の窓際のカーテンレールのとこに木のアングルが欲しいって言うんで。
家具のテントに行ってみると、木製品の出展者のほとんどがずいぶん遠くの地域からの人々。
とりあえずアングルは買って、唯一のセランゴール出展者の連絡先をもらった。
今はあまり多くはないけれど、マレーシアの伝統的な家にはウッドカービングを見ることができる。暑い日差しを遮りながらも隙間から差す日も楽しめるんだろう。それから、マスジッドや公共のビルなんかの中にはそのウッドカービングを用いた家具、ドア、装飾品が使われているところも多い。
マレーシアは木材自体もたくさん輸出しているけど、家具もたくさん輸出している。
このカービングはアラビア文字。こんなふうな書体になっているのはなんともモダンで素敵だ。
これなんか、角字のようだよね。
来年はなんか気に入ったもの買ってみよう。
マレー半島の東部の方からというのが多かった。どんなところなんだろう。
-------------------------------------------------------
わたしたちのコンドミニアムの前は現在新しい家を建設中。
ある土曜日、現場で働く人のための家というかプレハブが突然配達されてきた。
イリュージョンのように一人の若者を乗せたままプレハブはクレーンで吊られていた。
-------------------------------------------------------
それから!
靴箱兼ベンチが届いたよ。
絵で描いたものがものになった。これも、職人さんのおかげ。
マレーシア情報がまだあるよ
↓
にほんブログ村
2011年3月29日火曜日
2011年3月25日金曜日
?事実⇔真実?
月曜日は英語の勉強をすることになっていて、今週はわたしの家に3人来てくれました。
毎週記事を選んで訳をするというのなんだけど、今まで参加した回では政治や経済を中心とする記事で、日本語でも「なんだ、なんだ?」みたいになってしまった。
でも、その分日常のニュースに出てくるような言葉を知るようになったりする。それから、その周縁の事柄も今更ながらに知ることもある(深くではないけど、制度や歴史とか)。
まぁそれは、「どれほどものを知らないか」ということでもあるのかもしれない。
この月曜日用にわたしが選んだのは、ジュリアン・シュナーベルについての記事。
政治や経済の記事とは違って、比喩にしてもわかりにくい感じがした。ちょっと気取った表現であったりして、それこそ、そのアーティスト自身のことを知っていることが前提で書かれている。
訳をするために調べていると、その周りの出来事や彼の作品から想像が広がってくる。勝手な妄想とも言うかもしれないけど!
アーティストは事実から彼にとっての真実を表現しているのかなと感じる。だからその真実って全ての人にとっての真実ではないだろうな。事実自体だって捏造があるかもしれない。
それでも、その真実を「作品」として提示するのはまた「もの」という事実に戻っている。不思議だ。
-------------------------------------
この日は、作ったカレー(おかあさんのレシピ)をお昼に食べてもらった。
おかあさんのカレーがおいしいと思うのはわたしだけじゃないかも?!「おいしい」と食べてくれてうれしかった。
ので~、以下作り方。
※水の量とたまねぎの量によってグレイビーの量と濃さが変わる。
※スパイスは好みで量を調節。ターメリックパウダーは多すぎると苦くなる。
※鶏肉は骨がついているほうがおいしい。
※じゃがいもやゆで卵入れてもおいしい。
-------------------------------------
日本での災害以来、多くの人々と同様にわたしも普段より多くの情報を見聞きしているし、積極的に得ようとしている。
でも、自分はその量をうまく処理するスピードや方法が足りないのだと感じる。量の問題だけじゃなく、事実を選び出す判断力と真実を決断する力も。
なんかうまく言えないんだけど。。。
「こんな時にそんなこと考えてんのかよっ!」と言われるかな。
マレーシア情報がまだあるよ
↓
にほんブログ村
毎週記事を選んで訳をするというのなんだけど、今まで参加した回では政治や経済を中心とする記事で、日本語でも「なんだ、なんだ?」みたいになってしまった。
でも、その分日常のニュースに出てくるような言葉を知るようになったりする。それから、その周縁の事柄も今更ながらに知ることもある(深くではないけど、制度や歴史とか)。
まぁそれは、「どれほどものを知らないか」ということでもあるのかもしれない。
この月曜日用にわたしが選んだのは、ジュリアン・シュナーベルについての記事。
政治や経済の記事とは違って、比喩にしてもわかりにくい感じがした。ちょっと気取った表現であったりして、それこそ、そのアーティスト自身のことを知っていることが前提で書かれている。
訳をするために調べていると、その周りの出来事や彼の作品から想像が広がってくる。勝手な妄想とも言うかもしれないけど!
アーティストは事実から彼にとっての真実を表現しているのかなと感じる。だからその真実って全ての人にとっての真実ではないだろうな。事実自体だって捏造があるかもしれない。
それでも、その真実を「作品」として提示するのはまた「もの」という事実に戻っている。不思議だ。
-------------------------------------
この日は、作ったカレー(おかあさんのレシピ)をお昼に食べてもらった。
おかあさんのカレーがおいしいと思うのはわたしだけじゃないかも?!「おいしい」と食べてくれてうれしかった。
ので~、以下作り方。
チキンカレー
〔材料〕
鶏肉 骨付きもも肉なら2枚ぐらい(好きな部位で)
たまねぎ(赤) 3~4個
オイルA たまねぎを揚げるため
オイルB ½ tea cup
シナモン 1~2本
クローブ 1 tsp
水A ¾ tea cup
水B 1 & ½ tea cup
マサラ
塩 1 & ½ tsp
チリパウダー 2 & ½ tsp
コリアンダーパウダー 2 tsp
ターメリックパウダー ½ tsp
水 ¾ tea cup
ジンジャーペースト 1 tbs
ガーリックペースト 1 tbs
〔作り方〕
① ①鶏肉は骨ごと食べやすい大きさに切る。ドラムスティックならそのままでも。
② ②たまねぎはスライスして、オイルAで揚げる。油が気になる場合は揚げなくてもいい。その場合はみじん切りで。
③ ③マサラの材料を混ぜ合わせる。
④ ④鍋でオイルBを熱したら、シナモンとクローブを入れて香りを出す。
⑤ ⑤④の鍋に混ぜ合わせたマサラを入れて、焦げないように火を少し弱め5分ほど炒める。
⑥ ⑥水Aを加える。
⑦ ⑦たまねぎを加える。揚げたたまねぎなら手でクラッシュして入れるほうがいい。
⑧ ⑧⑥で加えた水が沸騰して、⑦のたまねぎがなじんできたら鶏肉を加える。
⑨ ⑨水Bを加える。
⑩ ⑩ふたをして弱めの火で煮込む。
※塩が弱めかも。※水の量とたまねぎの量によってグレイビーの量と濃さが変わる。
※スパイスは好みで量を調節。ターメリックパウダーは多すぎると苦くなる。
※鶏肉は骨がついているほうがおいしい。
※じゃがいもやゆで卵入れてもおいしい。
-------------------------------------
日本での災害以来、多くの人々と同様にわたしも普段より多くの情報を見聞きしているし、積極的に得ようとしている。
でも、自分はその量をうまく処理するスピードや方法が足りないのだと感じる。量の問題だけじゃなく、事実を選び出す判断力と真実を決断する力も。
なんかうまく言えないんだけど。。。
「こんな時にそんなこと考えてんのかよっ!」と言われるかな。
マレーシア情報がまだあるよ
↓
にほんブログ村
2011年3月15日火曜日
2011年3月12日土曜日
記憶
お父さんと妹は普段なら車で30分くらいのところ、13時間かかって今朝帰宅。
2005年の7月23日にも首都圏で大きな地震があった。
交通も止まり、帰宅難民という言葉を初めて聞いた。
悲しいこともあった日。
地震以外にも怖いことがあった日。
忘れられるわけがない。
このようなかたちで3月11日を記憶していくのか。
この先こんな日が増えてほしくはないいけれど、ないとは言えない。
だから忘れないようにしなくてはいけないのかもしれない。
2005年の7月23日にも首都圏で大きな地震があった。
交通も止まり、帰宅難民という言葉を初めて聞いた。
悲しいこともあった日。
地震以外にも怖いことがあった日。
忘れられるわけがない。
このようなかたちで3月11日を記憶していくのか。
この先こんな日が増えてほしくはないいけれど、ないとは言えない。
だから忘れないようにしなくてはいけないのかもしれない。
2011年3月11日金曜日
!!!!地震
みんな大丈夫だろうか?
心配です。
わたしはお父さんと妹からメールもらいました。
こんな時に我が家のテレビが映らない。ネットでBBC見ているけど。
また電話にトライする。
-----------
NHKを見る方法をドイツにいるMHちゃんに教えてもらった。
-----------
お父さんはこれから妹をピックアップして帰宅するとのこと。
弟は家に帰っていた。
お母さんは保育園で子供たちと机の下に2時間いたという。でも、みんなおとうさんおかあさんが迎えに来られるのだろうか。
-----------
お父さんは帝劇前で妹を待っている。大渋滞とのこと。会えるといいんだけど。
-----------
電話はつながらないけど、スカイプ同士なら話せるよう。
-----------
妹とお父さん合流。
浜松町から帝劇前までお堀沿いを歩いた妹によると、すごくたくさんの人が歩いていて車も大渋滞。東京タワーの先のほうが曲がって電気がついていなかったとのこと。
-----------
http://japan.person-finder.appspot.com/?lang=ja
-----------
ネットでNHKとBBCを同時に見ている。
-----------
1時間半かけて日比谷から両国。
家まで3時間はかかりそうとお父さん。
-----------
お母さんに電話がつながった。
保育園にいたお母さんは子供たちと机の下に隠れて2時間。
お迎えに来るのが大変なおとうさんおかあさんのために、保育園も延長中。
子供たちも不安だろうな。
-----------
お父さんとお母さんにとっても人生の中で最大級の地震だという。
-----------
こんなこと言ってる場合ではないが、5月末の納車も遅れるだろう。
-----------
さっきから1時間かけて両国から亀戸。
「帰るの朝になりそう」
-----------
可能な限り多くの人が助かりますように。。。
心配です。
わたしはお父さんと妹からメールもらいました。
こんな時に我が家のテレビが映らない。ネットでBBC見ているけど。
また電話にトライする。
-----------
NHKを見る方法をドイツにいるMHちゃんに教えてもらった。
-----------
お父さんはこれから妹をピックアップして帰宅するとのこと。
弟は家に帰っていた。
お母さんは保育園で子供たちと机の下に2時間いたという。でも、みんなおとうさんおかあさんが迎えに来られるのだろうか。
-----------
お父さんは帝劇前で妹を待っている。大渋滞とのこと。会えるといいんだけど。
-----------
電話はつながらないけど、スカイプ同士なら話せるよう。
-----------
妹とお父さん合流。
浜松町から帝劇前までお堀沿いを歩いた妹によると、すごくたくさんの人が歩いていて車も大渋滞。東京タワーの先のほうが曲がって電気がついていなかったとのこと。
-----------
http://japan.person-finder.appspot.com/?lang=ja
-----------
ネットでNHKとBBCを同時に見ている。
-----------
1時間半かけて日比谷から両国。
家まで3時間はかかりそうとお父さん。
-----------
お母さんに電話がつながった。
保育園にいたお母さんは子供たちと机の下に隠れて2時間。
お迎えに来るのが大変なおとうさんおかあさんのために、保育園も延長中。
子供たちも不安だろうな。
-----------
お父さんとお母さんにとっても人生の中で最大級の地震だという。
-----------
こんなこと言ってる場合ではないが、5月末の納車も遅れるだろう。
-----------
さっきから1時間かけて両国から亀戸。
「帰るの朝になりそう」
-----------
可能な限り多くの人が助かりますように。。。
2011年3月7日月曜日
15才のわたし
今はマレーシアに住んでいるわたし。
最初にマレーシアに来たのは15才の時。
ホームステイプログラムに応募して短い10日間ほどを過ごした。
中学生の頃は地理や歴史が好きで、プログラムの行先にはイギリス、アメリカ、中国なんかがあったけど、授業で習ったプランテーションの事や東南アジアのイメージが頭に残っていてマレーシアを選んだんだっけなぁ。
マレーシア行の飛行機の中で、「ラササヤン」の歌を覚えたこととか、「ルックイースト政策」を覚えたこととか、今思うと不思議だ。
なんでその歌だったのかのわからないけど今も覚えている。マレーシアで聞いたことはないけど。「ルックイースト政策」もその頃は単純に、「見習おう」という意識としてしか考えていなかったけど、そこには多くの政治や各国企業の競争が含まれていたんだろうと、今になって想像するところがある。そして、まさにこれからその東側の国々が抱えてきた問題をも見つめながら、マレーシアも成長していくのだろうな。もちろん、それらの国々が抱える問題とは異なるレベルの問題をマレーシア自身が持っているのかもしれないけれど。。。
短い滞在期間の中で、現地の学生との交流会もあったし、メインとなるホームステイもあった。
15才のわたしが一番驚いたことは、学生のほとんどが英語で話しかけてきたこと。日本から参加していたわたし達は10才から15才で、中学生のわたし達が小学生に協力して交流していくものだったんだけど、今思うとそんな力があったのかどうか疑問。
ホームステイも小学生と中学生が同じ家に滞在した。わたしはチャイニーズ系の家で、床が大理石なこととかメイドさんがいたこととかすごい広い家とかに驚いたもの(あと、おとうさんが頻繁にゲップすること)。そこのお家には女の子がいたけど、彼女のお兄さんは海外に留学していたから、それもまたずいぶんお金持ちなんだと思ったりした。「日本って先進国とか言うけど、ほんとにそうなの?」って思った。飲茶に行った時には、鶏の足が出てきてびっくり!
中には伝統的なマレー系の家に滞在した子もいて、お風呂が屋外にあったという子もいた。それを聞いてもびっくりしたけどね。
しばらく、その女の子と手紙のやり取りもしたけど、彼女もきっと海外にいったのだろうなぁ。最近、その手紙を見て自分がクランというところにいたということが改めてわかった。ほんと今更ね。
クアラルンプールではフェデラルホテルというところに泊まっていたみたいで、それがまさかあんな中心街だとは思ってもいなかった。お風呂に入ろうとしたら茶色い水がザーザー出てきて困ったし、シャンプーや石けんも異国の雰囲気ばっちりのにおいだった。ホテルの中にある売店でピアスの穴もないのにピューターのピアスを買ったんだったな。「Please show me this one.」とか言ってさ。今も持っている。
意外に覚えていることは少ない。
鮮烈な印象はクエ。食べた瞬間に「わ~ん」と言いたくなるものだった。それまで食べたことのないカラフルで妙なもの。
今は食べられる。
その当時はモノレールもLRTもなかったんだと思う。バスでの移動の中で、道路を覆う大きな木の緑とブーゲンビリアの木がつくる木陰と強い太陽の光も印象的。きれいだったな。大使館の人にも会ったはず、「すごく日焼けしてマレーシア人に間違われるほどです」という言葉も覚えている。
結婚して住み始めたマレーシアは15才のわたしが見たものとは大きく違っているのだと思う(記憶は曖昧だけれど)。マレーシアもわたしの両親が見てきた日本の変化のように大きく変わっていくのかもしれない。
うまくは言えないけれど、ここで生活する者としての楽しみと少しの不安、そしてどうしたって国民ではない自分の他人事(よく言えば客観的?)の感情がある気がする。
今度日本に帰ったらその頃の旅のしおりをもう一度見てみよう。
彼女にも手紙書いてみようかな。
マレーシア情報がまだあるよ
↓
にほんブログ村
最初にマレーシアに来たのは15才の時。
ホームステイプログラムに応募して短い10日間ほどを過ごした。
中学生の頃は地理や歴史が好きで、プログラムの行先にはイギリス、アメリカ、中国なんかがあったけど、授業で習ったプランテーションの事や東南アジアのイメージが頭に残っていてマレーシアを選んだんだっけなぁ。
マレーシア行の飛行機の中で、「ラササヤン」の歌を覚えたこととか、「ルックイースト政策」を覚えたこととか、今思うと不思議だ。
なんでその歌だったのかのわからないけど今も覚えている。マレーシアで聞いたことはないけど。「ルックイースト政策」もその頃は単純に、「見習おう」という意識としてしか考えていなかったけど、そこには多くの政治や各国企業の競争が含まれていたんだろうと、今になって想像するところがある。そして、まさにこれからその東側の国々が抱えてきた問題をも見つめながら、マレーシアも成長していくのだろうな。もちろん、それらの国々が抱える問題とは異なるレベルの問題をマレーシア自身が持っているのかもしれないけれど。。。
短い滞在期間の中で、現地の学生との交流会もあったし、メインとなるホームステイもあった。
15才のわたしが一番驚いたことは、学生のほとんどが英語で話しかけてきたこと。日本から参加していたわたし達は10才から15才で、中学生のわたし達が小学生に協力して交流していくものだったんだけど、今思うとそんな力があったのかどうか疑問。
ホームステイも小学生と中学生が同じ家に滞在した。わたしはチャイニーズ系の家で、床が大理石なこととかメイドさんがいたこととかすごい広い家とかに驚いたもの(あと、おとうさんが頻繁にゲップすること)。そこのお家には女の子がいたけど、彼女のお兄さんは海外に留学していたから、それもまたずいぶんお金持ちなんだと思ったりした。「日本って先進国とか言うけど、ほんとにそうなの?」って思った。飲茶に行った時には、鶏の足が出てきてびっくり!
中には伝統的なマレー系の家に滞在した子もいて、お風呂が屋外にあったという子もいた。それを聞いてもびっくりしたけどね。
しばらく、その女の子と手紙のやり取りもしたけど、彼女もきっと海外にいったのだろうなぁ。最近、その手紙を見て自分がクランというところにいたということが改めてわかった。ほんと今更ね。
クアラルンプールではフェデラルホテルというところに泊まっていたみたいで、それがまさかあんな中心街だとは思ってもいなかった。お風呂に入ろうとしたら茶色い水がザーザー出てきて困ったし、シャンプーや石けんも異国の雰囲気ばっちりのにおいだった。ホテルの中にある売店でピアスの穴もないのにピューターのピアスを買ったんだったな。「Please show me this one.」とか言ってさ。今も持っている。
意外に覚えていることは少ない。
鮮烈な印象はクエ。食べた瞬間に「わ~ん」と言いたくなるものだった。それまで食べたことのないカラフルで妙なもの。
今は食べられる。
その当時はモノレールもLRTもなかったんだと思う。バスでの移動の中で、道路を覆う大きな木の緑とブーゲンビリアの木がつくる木陰と強い太陽の光も印象的。きれいだったな。大使館の人にも会ったはず、「すごく日焼けしてマレーシア人に間違われるほどです」という言葉も覚えている。
結婚して住み始めたマレーシアは15才のわたしが見たものとは大きく違っているのだと思う(記憶は曖昧だけれど)。マレーシアもわたしの両親が見てきた日本の変化のように大きく変わっていくのかもしれない。
うまくは言えないけれど、ここで生活する者としての楽しみと少しの不安、そしてどうしたって国民ではない自分の他人事(よく言えば客観的?)の感情がある気がする。
今度日本に帰ったらその頃の旅のしおりをもう一度見てみよう。
彼女にも手紙書いてみようかな。
マレーシア情報がまだあるよ
↓
にほんブログ村
2011年3月1日火曜日
買い物ほんとのとこ
日頃の買い物と言えば主に食べ物。
わたしの場合は、
①週1ぐらいでTTDIのマーケットに行く
②週1ぐらいでスーパーへ行く
③月2ぐらいでハイパーマーケットに行く
④不定期の日本に行く
⑤もっと不定期のイギリスに行く
と、こんなところ。
でもね~、って思うことがいくつかある。
・TTDIマーケット
一番疑問に思っているのが魚屋。
㎏あたりの値段で販売されていて、スケールの表示だって見えないから即座には計算でできないんだよね。。おまけに、価格の表示があるようなないような。。。
おかあさんが買っている店から買うことが多いんだけど、そこのおじさんには正直なところ「誤魔化されてる?」と思うことがしばしば。「えび6尾ください」と言ったら何気なく一個追加されてたり(しかしおまけの意味じゃない)。薄い切り身にしてほしくても「薄い」の前提が違うのか、それとも量を買ってもらいたいからの分厚い切り身なのかがわからない。もうひとつは、いちおう「処理する?」って聞かれるけど、魚の内臓を取るというのがおおざっぱなのだ。自分でうまくできるようになりたいものだ。
その他はわたし自身の問題だけど、魚の種類がわからない。店頭に並ぶ魚をたびたび挑戦してみるしかないんだけど、結局名前がわからないから調べようがない。今のところは買った魚の写真を携帯に保存している。
鶏肉屋は何の問題もない。カンポンチキンを時々買うんだけど、これはあんまり好きじゃない。肉がたくましすぎる。肉をやわらかくするように調理するようなものに向いてるのかな。
野菜屋はそれこそ値札なんて一切ない。どうやって値段を覚えているのかは疑問だけど、たいした金額にならないし、ちょっとずつ買えるからいいかな。スーパーのように産地が表示されていないから、どこから来たものを買ってるのかわからない不安もあるにはある。
でも、店先に並ぶ様々な緑色のものを見てるとすごくおいしそうだし、元気になる。
フルーツ屋もおかあさんが行っているところ。安くはないけれどはずれだったことはない。買いたいフルーツがある時に、「今日食べたい、明日食べたい」ってお店の人に選んでもらえるし、ちょっとおまけがある時もある。
どこのお店にも言えることだけど、どこかせわしくていつも落ち着いて買い物ができないのがちょっと。。。朝6時半頃に来ればまだ人も少なくて品物も豊富だけど、9時半ぐらいになるとほんとに人が多くてもっとせかせかした気持ちになって買い忘れも起こる。パーキングも問題だし。
・スーパー
最も近いところにあるスーパーはどうも薄暗い雰囲気で、急に必要なものがある時に行くくらいで、最近はもっぱら1 Mont Kiaraにできたスーパーへ行っている。
通路も広いし明るいしいろいろある。マーケットにない野菜(シソ)なんかもあるし、飲み物や加工品や日本食材なんかを買っている。あと、オージービーフに卵。
マーケットに比べるとやわらかそうでやさしそうな野菜が多くて(マーケットの野菜は強靭に感じる)、素敵なパッケージにもなっている。そして何と言っても生産地がわかる。自分がどの程度そういうことを気にしているかとか知っているかにもよるのだろうけど、どっちがいいとかあるんだろうかね?
ただ、ここでおいしいフルーツに出会ったことがないなぁ。見る目がないのかもしれないけど。
我が家はジャスコに行かない。イセタンは機会があれば行く程度。
※おにいちゃんは「マーケットもスーパーも変わらない(魚介以外)」と言ってる。
・ハイパーマーケット
Tesco、Carrefourのこと。
ゴミ袋、洗剤、トイレットペーパー、ティッシュ、虫除け、たまに飲み物なんかの消耗品を買う。どこにでもあるものを買っているんだけど、ここが安いっていうからさ。特にこだわりもないんだけど。
・日本
「日本からあれを!」というものは特にないのだけど、去年日本に行った時から買うようになったのは洗濯洗剤。日本のは小さくなったね。それから、米かな。
それでも買うものと言えば大半は電気街からのもので、その他の物は思い浮かばないんだよ。それ以外、必ず行くのはハンズと世界堂。
マレーシアで「あれほしい!」となることもあるんだけど、たいてい忘れてしまうぐらいだから自分にとっては重要なわけじゃないんだと思う。それから、わざわざ持ってくるのが面倒というか。。。
食材、調味料に関してはもう少々料理がうまくなるとこだわりが出てくるんでしょうか?
・イギリス
電化製品とか、食洗機洗剤とか、洗濯洗剤。ともかく強力そうな製品たち。
枕っていうのもあった。洋服とか、CDとか、紅茶。
だいたいこれがお決まり。
スパイスはおかあさんから分けてもらう。
車があれば、もうちょっと頻繁に買い物に行かれるんだけどな。
マレーシア情報がまだあるよ
↓
にほんブログ村
わたしの場合は、
①週1ぐらいでTTDIのマーケットに行く
②週1ぐらいでスーパーへ行く
③月2ぐらいでハイパーマーケットに行く
④不定期の日本に行く
⑤もっと不定期のイギリスに行く
と、こんなところ。
でもね~、って思うことがいくつかある。
・TTDIマーケット
一番疑問に思っているのが魚屋。
㎏あたりの値段で販売されていて、スケールの表示だって見えないから即座には計算でできないんだよね。。おまけに、価格の表示があるようなないような。。。
おかあさんが買っている店から買うことが多いんだけど、そこのおじさんには正直なところ「誤魔化されてる?」と思うことがしばしば。「えび6尾ください」と言ったら何気なく一個追加されてたり(しかしおまけの意味じゃない)。薄い切り身にしてほしくても「薄い」の前提が違うのか、それとも量を買ってもらいたいからの分厚い切り身なのかがわからない。もうひとつは、いちおう「処理する?」って聞かれるけど、魚の内臓を取るというのがおおざっぱなのだ。自分でうまくできるようになりたいものだ。
その他はわたし自身の問題だけど、魚の種類がわからない。店頭に並ぶ魚をたびたび挑戦してみるしかないんだけど、結局名前がわからないから調べようがない。今のところは買った魚の写真を携帯に保存している。
鶏肉屋は何の問題もない。カンポンチキンを時々買うんだけど、これはあんまり好きじゃない。肉がたくましすぎる。肉をやわらかくするように調理するようなものに向いてるのかな。
野菜屋はそれこそ値札なんて一切ない。どうやって値段を覚えているのかは疑問だけど、たいした金額にならないし、ちょっとずつ買えるからいいかな。スーパーのように産地が表示されていないから、どこから来たものを買ってるのかわからない不安もあるにはある。
でも、店先に並ぶ様々な緑色のものを見てるとすごくおいしそうだし、元気になる。
フルーツ屋もおかあさんが行っているところ。安くはないけれどはずれだったことはない。買いたいフルーツがある時に、「今日食べたい、明日食べたい」ってお店の人に選んでもらえるし、ちょっとおまけがある時もある。
どこのお店にも言えることだけど、どこかせわしくていつも落ち着いて買い物ができないのがちょっと。。。朝6時半頃に来ればまだ人も少なくて品物も豊富だけど、9時半ぐらいになるとほんとに人が多くてもっとせかせかした気持ちになって買い忘れも起こる。パーキングも問題だし。
・スーパー
最も近いところにあるスーパーはどうも薄暗い雰囲気で、急に必要なものがある時に行くくらいで、最近はもっぱら1 Mont Kiaraにできたスーパーへ行っている。
通路も広いし明るいしいろいろある。マーケットにない野菜(シソ)なんかもあるし、飲み物や加工品や日本食材なんかを買っている。あと、オージービーフに卵。
マーケットに比べるとやわらかそうでやさしそうな野菜が多くて(マーケットの野菜は強靭に感じる)、素敵なパッケージにもなっている。そして何と言っても生産地がわかる。自分がどの程度そういうことを気にしているかとか知っているかにもよるのだろうけど、どっちがいいとかあるんだろうかね?
ただ、ここでおいしいフルーツに出会ったことがないなぁ。見る目がないのかもしれないけど。
我が家はジャスコに行かない。イセタンは機会があれば行く程度。
※おにいちゃんは「マーケットもスーパーも変わらない(魚介以外)」と言ってる。
・ハイパーマーケット
Tesco、Carrefourのこと。
ゴミ袋、洗剤、トイレットペーパー、ティッシュ、虫除け、たまに飲み物なんかの消耗品を買う。どこにでもあるものを買っているんだけど、ここが安いっていうからさ。特にこだわりもないんだけど。
・日本
「日本からあれを!」というものは特にないのだけど、去年日本に行った時から買うようになったのは洗濯洗剤。日本のは小さくなったね。それから、米かな。
それでも買うものと言えば大半は電気街からのもので、その他の物は思い浮かばないんだよ。それ以外、必ず行くのはハンズと世界堂。
マレーシアで「あれほしい!」となることもあるんだけど、たいてい忘れてしまうぐらいだから自分にとっては重要なわけじゃないんだと思う。それから、わざわざ持ってくるのが面倒というか。。。
食材、調味料に関してはもう少々料理がうまくなるとこだわりが出てくるんでしょうか?
・イギリス
電化製品とか、食洗機洗剤とか、洗濯洗剤。ともかく強力そうな製品たち。
枕っていうのもあった。洋服とか、CDとか、紅茶。
だいたいこれがお決まり。
スパイスはおかあさんから分けてもらう。
車があれば、もうちょっと頻繁に買い物に行かれるんだけどな。
マレーシア情報がまだあるよ
↓
にほんブログ村
登録:
投稿 (Atom)