2013年5月6日月曜日

ジュエリーというもの


ベルリン在住のわたしのお友達はジュエリーデザイナーです。

http://naokoogawa.com/top.html
https://www.facebook.com/NaokoOgawaJewelryWorks

マレーシアに住んでいると家族の影響もあるのか、ジュエリーに対する見方って少し変わってくるのかもしれない。
なぜなら、ジュエリーショップというものの多くがゴールドや石を扱うという事を中心としていて、デザインというものに作家の個人名が反映されることがあまりないから。
もちろん流行りなどもあるのだろうけどね。
宝飾品=財産という面が強いのかもしれない?


彼女の発表してきている作品は、そんなわたしの鈍った感覚をリフレッシュしてくれるものだと思う。
ジュエリー抜きでTシャツ+短パンで過ごしているわたしにとっては、いま一度「こういうふうに身に着けたいな」とか想像させてくれるものね。


わたし個人としてはマレーシアで「これぞ!」と思うようなものには未だ会ったことがない。
今後、マレーシアをはじめとする東南アジアの成熟によっては材料の価値というものが全面に出ているものから、「デザイナー・作家」の名前というのが大きな価値となっていく面もあるのかもしれない。(不勉強なわたしの想像だけど。。)

価格も材料もチープなものが溢れているこの地域で、材料の質とその制作者の一面がもっと評価されていく時が来てほしいな~


naoko ogawaのジュエリーを身に着けたら、「自分+彼女」でちょっと心強い感じもするでしょ?


マレーシア進出も待ってます!!






↑フェイスブックに書いたことをブログにも書いてみる。
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わたしは普段あんまりジュエリーというのを身に着けることはない。
というか、そういう機会があんまりないから。ピアスをしたってずっと同じものをつけっぱなしというずぼらさ。
そして、最近はマレーシアでの犯罪も考えると結婚指輪以外何も身に着けていない。


一方でわたしのおかあさんをはじめとする家族の女性たちはピアスをしてないことなどないし、みんなジュエリーが大好き。年数回開かれるジュエリーフェアにも必ず行っている。


マレーシアのジュエリーショップではk22を主に扱っていて、ショップにあるジュエリーには~gという表記がしてある。その日の金の価格とワークマンシップに準じた売り方をしてるってこと。
だからディスカウントをお願いすることもできる。
現在はデザインも豊富で、ミドルイーストのトレンドを取り入れたものなんかも多くあるけれど、その昔はほんとにデザインの選択肢が少なかったそうだ。

とはいえ、日本人からすれば「こんなゴリゴリのデザインいつ使うの?」ってなもんだけど。中には探せば我々日本人でも素敵と思えるものもある。まぁ、それでも華奢なものはあんまりないけど。


デザインの選択肢が少なかった時代は、誰かが素敵なデザインのものを身に着けていると「わたしも~」という感じで、みんなゴールドスミスにオーダーして同じものを作ってもらっていたそう。
わたしがおかあさんとおばさんにもらったピアスは全く同じデザインというのもある。

また、おかあさんが10代の頃に使っていた金のフープピアスは、現在のものに比べると格段に金の量が多い。たぶん技術的にも少ない金の量でジュエリーを作るというのが簡単ではなかったからなのかもしれない。(もちろん金の価格もあるけど)


こういったインドからのゴールドジュエリーというのは、ものすごい薄暗い工房でものすごい安い賃金で制作されているらしく、そこからはやはり制作者の名前など出てくるわけがない。

その職人たちの我慢強さや背負っている生活からこんな細工のジュエリーが生まれてくるのだけど。



もう一つ昔話。

インド系の人々が着ているサリーなどの衣装は、わたしも手軽に買うことができる値段のものもある。
ハレの日に身に着けるようなものは、それこそ日本の着物のように本物の金や銀の刺繍なんかが施されている。
おかあさんが若かりし頃には、そういったサリーをある意味リサイクル?のような方法で循環させていた。本物の金や銀が施されているから、サリー自体を燃やしてそこから残った金や銀を取ってまた新たなサリーを買ったり、ジュエリーに仕立てていたんだそうだ。
現在そのようにしている人がいるのかはわからないけれど。




ゴールド×インドでちょっと面白い記事があった。

http://www.bbc.co.uk/news/magazine-21994873

記事の中で印象に残ったのは、インドの地方では銀行口座を持たない人も多く、そういった人の中では金というのは投資とかいうのとは別な役割を果たしていること。もちろん貨幣を使ってはいるのだろうけど、金を持つ事が生活をどうこうすることに大きく関わっている。


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大学を卒業して10年以上が過ぎて、その期間様々な形で制作活動を続けてきているお友達がたくさんいる。
続けてきている事が彼らの作品だけではなくて、制作者の名前を作り上げていっているような気がする。
お母さんやお父さんにもらった名前が、場所や時間や事実を経てその作家自身の姿になっていってるんじゃないかな。

みんな素敵な人になっていっていると思う。




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2013年4月1日月曜日

おじいちゃんからの手紙4



お便りの絵はがきは、どこか目にしたことがあるかのような絵柄。
満期退営とあるのは中国大陸から帰ってきた人の事を言ってるのだろうか?

描かれた女性のようにこんなに深々とお辞儀することなど、わたしにはこの先もないかもしれないな。


年が明けて、昭和17(1942)年元旦のお便り。












お目出とう其方はお変り有りませんか
自分も益々元気で銃剣術に気合を掛けお陰で体重も増して本調子となりました
二六〇一年も終りを告げ三十と云ふ代変りの年を軍隊に迎へ
過去を返り見て感慨無慮です
班内の窓からは化粧した富士が朝日にそびへ屋根には眞白な霜が
隊では来る八日行はれる観兵式予行演習を毎朝起床同時行って居ります
皆んな元気で好い年を迎へて下さい
何と云っても体が一番大切ですから
〇ー坊は丈夫でせうね
お正月は五日頃迄外出面会も出来ず町のニュースをお便り下さい


わたしは30歳になった時に何にも違いを思わなかった。
よく、「30代は楽になるよ~」なんてことも聞いたりしたけど、特になんとも。
振り返るような過去を持ち合わせていないからかもしれない。

以前、団塊の世代の寿命は長いというのを聞いたことがある。
それとともに、それ以降の世代の寿命はその世代に比べれば長くないともいっていたような気がする。
いつか終りが来るのだけれど、もし日本人(わたしの世代)の寿命が65歳ぐらいとするのならば、たいして振り返るものがなくともおじいちゃんのように過去を見て姿勢を正さなくてはいけないのかもしれない。

どこに暮らしていても「何と云っても体が一番大切ですから」ね!!



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2013年3月31日日曜日

ひさしぶりに涙


のんきにPCの前にいたらキッチンからガサゴソする音。
「はっ?」と思い、キッチンに行ってみると猿がいた!!

「ぎゃ~!!」と叫んで猿に向かって行ったら逃げて行ったが、すっごい怖かった。

今朝はマーケットに行って、ソロパパイヤとみかんとグァバを買った。
キッチンカウンターの上に置きっぱなしにしてあった。


パパイヤは床に落ちていて、つるしてあったバナナも食べてたし、クラッカーの袋も開けようとしてしてたみたいで床に転がっていた。
ドライパイナップルも手をつけてたみたいだったから捨てた。。

















最近、家の裏の木を切ったせいもあるんだろうか?
動転しておかあさんに電話したら「わたしたちが彼らの住む場所をおかしてるからしょうがないわね」と。おかあさんのおうちの辺りではその昔、猿がおうちに入ってきてお米をひっくり返したり、玉ねぎをおいしそうに食べたてたりしてたんだそうだ。

今日のこのハプニングもわたしがマレーシアへ慣れていく上で必要な儀式だったのかしら?
猿の洗礼などなくてもよかったけど、のんきにばっかりいられない。
でも、びっくりした時に大声が出てよかったのかも。

窓にグリルをつけないとな。。
まだ、体がざわざわする。


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2013年3月27日水曜日

おかあさんのマトンカレー



このあいだお友達がおうちに来た時にマトンカレーを作りました。
おかあさんのレシピでね。


マレーシアに暮らすとカレーを食べる機会が多いし、それにとても気軽に食べられるものでもある。マトンをはじめとしていろんな種類のカレーがあるから、どれが自分の好みかもよくわかる。
その反面、外で気軽に食べられるから家で作らなくてもいいかな~、というふうにもなっちゃうんだけど。。

マレーシアのカレーは南インド系のものが多いし、そういうのは気軽なお店で食べられる感じ。北インドの料理はちょっと洒落たレストランで提供されていることが多いのかもしれない。
南インドのカレーはグレイビ―(汁、ルー)が軽くて、野菜や魚なんかも多く使われている。ベジタリアンの人が多いからかな?
北インドのカレーはグレイビ―(汁、ルー)が南インドのものに比べれば重めで、マトン、チキン、ビーフなんかの肉を使ったカレーが主流かな。

日本にあるインド料理店では北インド風が主流なよう。「ほんとはバターチキンカレーなんてない!」とだんなさんは言う。
まぁ、インドに拒否反応のある彼が言う事だからほんとかどうかはわからないが。。

イギリスもインド料理店はたくさんあるけど、それもまた大きく違った気がする。
甘めな味付けとゴロゴロとした肉や野菜。その重い感じというのはリッチとも言えるかもしれないけど、アジア人向けではないかもしれないな。
時々食べたくなるけど。




わたしのだんなさん家族は北インドがルーツだからか、みんなミートイーター。
とはいえ、カレーで一番おいしいのは肉よりもグレイビ―(汁、ルー)なんだと思う。



意外に簡単にできるから、作り方を紹介。


≪材料≫
マトン(ローカルマトンのレッグかショルダー)1/2キロ 
食べやすいおおきさに切る
玉ねぎ(赤いやつだがシャロットぐらい小さいやつじゃない)4-5個 
適当な大きさで、煮込むから気にしない
チリパウダーtbsp1/2
コリアンダパウダーtbsp1/4
ターメリックパウダーtsp1/2
ガーリックペーストtbsp3/4
ジンジャーペーストtbsp1/2
シナモン1inch
ブラックペッパーコーン好きなだけ
塩好きなだけ

※玉ねぎはたくさん入れるとグレイビーがたくさんできるよ。まろやかにもなるけど肉をそんなに食べない人はグレイビ―だけでも楽しめる。
※コリアンダーパウダーをたくさん入れると苦くなる。
※ターメリックパウダーをたくさん入れると黄色くなる。マトンカレーは赤っぽい色が目安だよ。
※ガーリック、ジンジャーペーストの分量をほんと目安で、好きなだけ入れてもいいと思う。
※塩はいつでもいいと思う。ガーリック、ジンジャーペーストは塩を加えて保存しているから、塩が強すぎないように気を付けたほうがいい。

1、    スパイスなど全部を肉と鍋でソテーする。油は入れない。
2、    玉ねぎが柔らかくなって水分が少なくなる程度までソテー。
3、    2カップぐらいの水(材料が水につかるくらい)を加えて沸騰。弱火で蓋をする。
4、    煮込み途中、水が必要とあれば適宜加える。
5、    お肉が柔らかくなったら、ちょい火を強めて玉ねぎがとけちゃうまで。
6、    グレイビ―がサラサラにしたければ、水を加えて調整。




インド料理ではガーリックペーストとジンジャーペーストが欠かせない。わがやもだけど、たくさん作って塩を入れて保存している。これらのペーストは煮込む肉を柔らかくする効果もあるんだそうだ。
おうちによっては、肉を柔らかくするときにはパパイヤなんかを使ったりもする。


マレーシアでローカルマトンという時、それはゴートです。
カレーを作る時、オーストラリア産のマトンやラムを使うとおいしくはできない。
なので、ローカルマトンを使うのがおいしい秘密なのかも?
TTDIではRM38/㎏とちょっと高いけど、スーパーでは見かけないようだからぜひお試しを!


まぁ、毎日食べるわけではないし、たまにはいいんじゃない?






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2013年3月26日火曜日

おじいちゃんからの手紙3


真珠湾攻撃があり、マレー半島へも日本軍が上陸した頃、おじいちゃんはまだ青山にいたようだ。


昭和16(1941)年12月10日のお便り。


お便り拝見致しました
向寒の折から母上様の神経痛叔母様又○子は??病勢如何ですか
自分は益々元気で軍務に精勤致して居りますから御安心下さりませ
又、○一郎君も無事入隊の事と存じます
一日一時間毎に世の中も変って行き来るべき合同問題も実施されんとし
日英米戦は開始され又入隊等非常に多忙をきはめて居る折から
面会、外出は勿論私事にはかまって居られない自分で有ります
書面にては思ふにまかせず店の事は○○氏に一任致し度く
今後如何なる状勢になるか分りませんが
又折が有れば相談致し度く何分宜敷く願ひます
○○子?


12月8日(真珠湾攻撃)を境にしておじいちゃんを含めて多くの人々が、家族や暮らし、国の今後を案じ始めたのだと思う。
家族からおじいちゃんへの手紙がないからわからないけれど、距離は近くてもなかなか会うことの叶わない人のことをいつも考えていたのだと思う。


現在わたしが暮らしている時代のように、自らで多くの情報を取捨選択して手に入れることの出来なかったこの時代の不安というものの大きさは計り知れないものだったのかもしれない。
でも、多くの情報を得ることの出来る現在でも、世界が果てしなく広がってしまっているようで、その大きさに手におえないような不安というのを感じたりもする。

自分とこの大きく広がっている世界がつながっている感覚が薄いからなんだろうか?



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2013年3月22日金曜日

我が家の近所


わたしたちが住んでいるところは所謂住宅街で、わりと昔からの住宅街。
ソラリスデュタマスにも近いし、モントキアラにもそんなに遠くないから日本食材だって買いに行かれるし、お友達に会うのもそう難しくはない。
中心街に行くのも渋滞がなければ10分ぐらい。
KLセントラル駅にだって空いてれば10分もかからない。(我が家は出張が多いから、駅まで送り迎えをよくやってる)

未だに緑も豊富だし、車の通りも少ないから、週末になるとジョギングや自転車に乗る人を多く見かける。結構、高低差のある地だから大変そ~と横目で見るだけだけど。

車がないとちょっと難しいけれど、一番近い駅にはがんばって歩いて15分ぐらいで着く。
車がない頃は歩いたりもしたもんだけど、今や全く歩かなくなり足腰の衰えの激しさったらない。時々日本に行った時に自転車に乗ると、筋肉痛になるほど。。



最近、一番近い駅であるPWTCに隣接されるショッピングモールがリノベーションされるという事を聞いた。

今はSunway Putra Mallという名前に変わったのだけど、それ以前はその名もThe Mallというショッピングモールで、今や無きヤオハンというデパートが入っていたんだそうだ。
そのせいもあってか、その周辺にあるコンドミニアムには日本人を含めて多くのロングステイヤーが暮らしていたらしい。現在は、入居者に学生さんなんかが増えていると聞く。
たぶん、このモールのこれまでの状況がほんと「廃れた、寂れた、死にそうな」というふうになってしまったからなんじゃないかな。
スーパーをはじめとして、他のテナントも、わたしが暮らしている期間でもこのひどさは悲しくなるくらい。すごく良く言えば、ものすごいどローカルショッピングモールということなのかも。
Chow Kitマーケットにも近いから、それこそ下町というエリアなのだと思う。

そんなモールにあったお店たちがどんどんと閉店していって、なおさらどうしようもない風になってしまった。
どうしようもないなりに、一番近いし、時には車を停めて電車に乗ったりもしていたし残念なこと。

スーパーのお兄さんによれば、3月末で閉店して、今後約2年をかけて全館のリノベーションをするんだそうだ。
2年て長いな~と思う反面、このモールがまた活気のある場になっていったらいいなと思う。

それから、わたしたちの家も多少のアプリシエーションがあるかしら?なんて思ったり。
まぁ、PWTCと言えばUMNOビルディングだし、マレー風味たっぷりなショッピングモールになるのかも?


車は必要だけど、ほどよく下町に近いこの場所も悪くはないよ。



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2013年3月11日月曜日

おじいちゃんからの手紙2


おじいちゃんが所属していた部隊は内地でいくつかの土地を移動して最終的にスマトラへ向かった。最初は東京にいたけど、演習の際には遠出をしていたみたいだ。

前回のお便りでは「毎日のように代々木にて教練して居りますが~」とあったけど、そこは現在の代々木公園。



今回のお便りは写真のハガキ。
昭和16(1941)年8月19日。
写真の様子は、「歩兵突撃ノ實況(於冨士裾野)」とある。













暑い東京を逃れて富士滝ケ原へ
日中は相変らず暑いですが朝夕の気分は皆さんの想像におまかせ致します
益々元気で体重も増し演習に勤めて居りますから御安心下さい
二十二日は帰営の予定ですが其の時は軍装の寫眞をお目に掛けます
皆様に宜しく





東京から離れて富士山の麓の地へ演習へ行った時のお便り。
入隊から約2ヶ月でこんな写真のような事を行っていたんだろうか?
これから各地へ出兵していく人々にとって、ここでの演習は肉体的なことだけでなく、富士山そのものの景色と、その景色とセットになっている感情というのを強く心に焼き付ける事になったんじゃないかと想像する。


最近、友達が撮った富士山の写真を見たけど、とても美しい日の光の中の富士山でした。





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