2011年6月29日水曜日

わたしの知らない時間

1カ月も前のこと。



クアラルンプールの歴史的な建物のオープンハウスがありました。
わたしはいくつかのリストの中からVictoria Institutionへ。



ここはクアラルンプールの中でも最も古い学校のひとつ。
1893年に現在のチャイナタウンエリアに創立された。そして、1929年に現在学校のあるJalan Hang Tuahに移転した。
この移転の理由というのは、何でも、その当時激しい雨が降る度に学校近くのクラン川が氾濫していたからだそう。それでも、この学校がその場所にあったことが今のチャイナタウンエリアやクアラルンプール自体の発展と大きく関係している。
移転後も建物自体は様々に利用されたけれど、1999年の火事によって消失してしまった(ドラッグアディクトによるらしい)。
とても残念だよね。。。

その火事の中でも残った礎石。


この時代イギリスの支配下であったクアラルンプールには、インドから異動してきたイギリス人建築家を中心に今も観光名所となっているような建築物が作られた。
マレーシア各地にこの時代に作られた建築は、ムーア、チューダーリヴァイヴァル、ネオクラシカル、ネオゴシックなんかのいろんな様式のハイブリッド型みたいなものかもしれない。
マレーシアに来たらそういうのぜひ発見してみて!

こちらは移転後の学校の金属プレート。



この日は週末だったけど、見学ツアーに参加した人はほんとに少なかった。
集合場所は時計台のところ。ガイドは現役学生のみなさん。

参加者の半分は卒業生のおじさん達。昔話に花が咲く。



学校の校章。ちょっと色あせているけど。
バッファロー;昔はたくさんいたセランゴールバッファローは強さの象徴。
鍵(右上);成功への鍵。「勉強しよう。そして成功しよう。」
槍(中心);痛みあってこその成功。
青いライン;真ん中は「I」、その両脇ふたつで「V」。Victoria Institutionの頭文字。
ダークブルー(写真では青);オックスフォードカラー。
ライトブルー(写真では白);ケンブリッジカラー。




ここは時計台のあるメインビルディングの廊下。なんとも雰囲気のあるかんじ。


この建物の中には講堂がある。
ここでは集会が開かれたり、テストを受けたりするんだって。

ここでもおじさんは思い出話を披露。学生ガイドそっちのけ。

学生の多くは男子なんだけど、フォーム6からは女子も入学できる。
集会なんかの時は女子は2階のバルコニー席に座るんだそうだ。


イギリスの支配下から日本の占領下へと変わった時代、学校は日本軍に接収され司令部として使われていた。
この講堂も1945年には日本軍の降伏調印式に使われたとのこと。


なかなかハンサムな現役学生ガイドのみなさん。
ヒゲはやしている子もいたんだよね。



講堂の後はプールを見学。

スイミングの授業では上級生が下級生に指導するんだそうだ。
タイル張りのプールはとても素敵。ローマ時代の浴場みたい。


日本でいうとこの理科室を通った時、参加者のおじさんが学校に付き物の怪談を話してくれた。
どこの国にもあるんだね。



この学校はマーチングバンドが有名で、世界の大会にも出ている。優勝もしているんだって。
スコットランドのミリタリータトゥーのように、一紙乱れぬ正確さを求めて炎天下の練習をしている。

クアラルンプールの真ん中にある学校にも関わらず、その敷地は広大でこの芝のグラウンドもとってもうらやましい。豊かな学校生活なんだろうな。
あ、だけど、教室にはクーラーないんだって!トイレも異常に少ない。

その他にも、たくさんのクラブがありそれぞれがとても盛ん。
特に運動部は同じくクアラルンプールにある歴史ある学校として知られる、St. John's InstitutionやMethodist Boy's Schoolと長年のライバルとして競い合っているそうだ。


そんなのんびりペースでツアーも終わり、また時計台に戻ってきた。


暑かったけれど、広大な敷地に大きな木が影を作り静かな日だった。周囲にも大きな建物があまりないから、ちょっと小高いこの土地からはクアラルンプールの景色を眺めることのできる場所もある。

実はこの学校、だんなさんを含めて家族の男性たちのほとんどが卒業生。
だんなさんについてわたしが全く知らない時間がここに残っている。
なんか感激!!
今度は家族で来てみたいな。そしたら、もっとおもしろい思い出話が聞けるかな?





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2011年6月10日金曜日

汗と油と金属のにおい

とある週末、ロイヤルセランゴールの工場見学に行きました。


マレーシアはイギリス植民地時代から本格的な錫の採掘が行われている。
現在の採掘量は過去とは比べ物にならないぐらい減っているという。

ピューターは銀と同じように、製品としてはテーブルウェア、祭祀の道具、硬貨として広く使われてきた。
マレーシアでは中国から渡って来た人々が増えてきた頃、冠婚葬祭にまつわるものを中心に多くの製品が生み出されていったという話。

そして、現在ではデザインも多様になってきている。中国風なデザインの他にも、かわいらしい動物のあしらわれたもの、ヨーロッパのデザイナーによる製品もあって、素敵なものもたくさんある。
この日は週末のこともあって、来館者もまばらでミュージアムものんびりしたもんだった。特にガイドもお願いしなかったのでだいぶ駆け足だったかもしれない。
もうちょっとゆっくりと観てみたかったけど、次回また。



こんなポットたち!

TMちゃんが学生時代に作ったポットを思い出したよ。。。


こんなふうにフォトフレームを飾るのも素敵だよね!

こんなにたくさんのデザインがある。
わたしは家にたくさんの写真を飾ることに馴染みがないけど、こんなのが当たり前のお宅とかもあるのかもしれない。




その昔の道具たちも展示されている。

日本の金属造形の現場で使われているものとは様子が違うよね?
長いベンチの片端に穴の開いた木の塊。木台なんだろうね。
木の塊の穴に当金をさして、ベンチをまたいで座り、当金のささった木の塊に向かい合って作業をする。
筒状のものなんかのためかもしれない。

よく見れば、ベンチ座面自体にも穴があるので、当金をそこへさして使うこともあるよう。


鞴とバーナー。
今もこれとそれほど変わらないもの使っている人いるけどね(クラフトデイで見た)。


道具についてはもっと詳しく見てみたかった。やはり是非とも2回目に行かないと!

職人や作家は「道具愛」がある。
これなんかさ、表紙の写真からして購入ターゲットを完璧に絞っている。このひかり具合にムラムラするとか、心をわしづかみにされるとか。この本の神々しさを表してるのかしら?




展示エリアを抜けるとちょっとした体験コーナーがあって、ビアマグの胴体部分に槌目を均等につけるとかができる。
久しぶりに金槌を握ってみたけど、相変わらず「均等」とうい言葉とは無縁の槌目を残した。金槌を打つ音を聞くと、自然と例のあのリズムが聞こえてくるような気がしたよ。
意識はしていなかったけど、学生の頃は金槌の音やリズムから誰が叩いているかみんなそれぞれわかってたんだろうね。(もちろん、先生たちのそれは特徴的で真似したりしてみたものだよねー。)


体験コーナーからは工場の作業エリアが見える。
この日はお休みだったようで、ただの静かな薄暗い倉庫のようだった。


工場内を歩き回ってみると、懐しいあのにおい。「汗+油+金属(+青春?)」。

工場といっても思いのほか質素な感じ。
だんなさんは「こんなに汚くて大丈夫なの?」とか「こんなルールで大丈夫なの?」とか言っていた。電気機器なんかを製造しているようなところと比べるとそういう印象なのかな?
わたしの印象は「きれいなわけではないけど、整理整頓されてて古いものも大切に使われているんだな。」という感じ。




ね?きれいに整理整頓されてるでしょ?
知っての通り、わたしの学生時代の机やその周りの状態はこんなではなかった。


現在のわたしの机とその周辺もあんまり変わってはいないんだけどね。。。



あっ!職人や作家の槌音のみを収録したCDなんかどう?
欲しい人いるんじゃないかな~。





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