2013年7月22日月曜日

エキゾチックって?


15年ぶりにバンコク。






















10年一昔と言うのだから当たり前だけれど、まったく印象が違った。
街が変化をするように自分にも変化があっての感覚の違いとは思うけど、「こんな街だったかな?」と思ってしまった。

グレーな街並みは東京のようで、夜のにおいまでもが夏の東京のにおいのよう。
ルールを守る我慢強い感じも似ている。ちゃんと並ぶとか(笑)
暑い気候の中でも、美容に気を使うおしゃれな人が多い。



大都市というのはどこでもどんどんその個性を失って似てきてしまうのだろうか?

前回にはバンコクに東南アジアというのを強く感じたけれど、今回はこんなにも東京っぽいところなのかと驚くほど。
KLに住むようになったから余計に感じているのかな。それにまぁ、わたしは観光客だからわかっていないことも多いけれど。


新しいものと下町風のところが混ざり合っている。
バンコク

下町風というか人々の生活が見えるところが’路上’という感じ。道が狭いのに店が出てるとか。
KL

エリアごとにその雰囲気が分かれているような気がする。


交通機関の便利さ。
バンコク

タクシーがきれい、安い、そして正直。電車が便利で人々は整列乗車で降車の人を待つ!!歩いても目的の場所へ移動できる。
KL

悪名高いタクシー。電車もいいけど、一番の選択肢ではないしな。誰も並ばない。行きたい所へはやっぱり車があるほうがいい。


ショッピングの選択肢の豊富さ。
バンコク

ファッションは有名なものから新進のものなど幅がある。もちろんローカルなものも。食料品は宗教の制約が少ないせいか、日本食材を例にとってみてもすごい種類。在住日本人の数も比べものにならないほどだろうしね。お店で販売されているタイの特色ある雑貨やクラフト製品のセンスが良い?
KL

大きく分けて3つの民族の暮らすマレーシアでは、共通のファッションという市場は大きくないせいか、自分が日常的感覚でほしいと思う衣服ってあんまりないかなぁ?「だったら日本でさがすわ!」という気持ちがわく。どこでもだいたい売っている製品に大差ない。よく商売が成り立つなと。食料品もわたしは不便ないけど、バンコクと比べるとずいぶん違う。マレーシアだって素晴らしい雑貨やクラフト製品があるんだけど、なぜか?どうしてか?ダサく見える気がするんだよな。


小さなお店の気が利いてる。
バンコク

大きなモールはほんとにたくさんあるのだけれど、小さい店も小奇麗で気の利いたセレクトをしてる店が道を歩いていてもいくつか。
KL

モールはあるけど、やはり車が。。小さい店もたくさんあるよ!だけどそれは昔ながらの商店なんだよね(これはこれで好き)。何と言うか、店はモールかショップロットにあるものな感覚。



なんだか、「バンコクのほうがよい!」という感想になってしまいそうだけど、実はそうでもない。
バンコクも東京もKLに比べるとカラフルなキャラクターが薄い気がする。
外国人在住者の多い大きな都市なんだけれど、国民を成す各民族にそう差がないからかもしれない。
KLにも外国人在住者は多いけれど、やはりマレー系、中華系、インド系の文化やライフスタイルにはずいぶんと差がある。それによってエリア毎にキャラクターが残っている。

自分がKLに住んでいるし、家族もいるから「やっぱりここが好きだな」とも思うんだろうね。



また行きたいな。





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2013年7月1日月曜日

てんてんがつながると笑顔になれる

昨日は楽しみにしていた文楽の公演に出かけた。
https://www.facebook.com/theJapanFoundationKL?hc_location=stream
今回の演目は「寿二人三番叟」と「本朝二十四孝 奥庭狐火の段」というもの。


日本に住んでいる時には観たこともなかったけれど、いいもんだな~。
長く続いているものというのはどんな分野でも理由があるのだと思う。

海外での公演という事で、浄瑠璃を語る太夫、三味線や琴の演奏者、そして人形遣いによる細かな説明があってから鑑賞。
こういうところがとてもありがたいし、複雑難解そうな伝統芸能との距離を縮めてくれるものだと思う。あと、英語字幕もね。
劇場の大きさというのもすべてが見える広さであったのがよかったのかも。



中高生の頃に歌舞伎鑑賞教室というのが開かれた時にも説明があり、演目をより楽しく鑑賞することができた。もしそれがなかったら、今でも相当に敷居の高いものだっただだろうな。

それから、学生の頃は好きだったけれど、古文や漢文にも「?」な部分は多かった。そのまま授業として通り過ぎていくだけであったし。
でも、こういう演目を鑑賞する時に登場人物の台詞とかがある程度理解できるのは、その通り過ぎていたもののおかげだったのかもしれない。
現在では使われない言葉もその意味を習ったからこそイメージができる。
歴史の授業もしかり。

さらに時は過ぎ、イギリスに住んでいたころ。
ちょっとバイトをさせてもらったのが浮世絵に関する場所だった。
それこそ、浮世絵は博物館や美術館でフレーム越しに観るぐらいであったけど、ここでは短い期間ながらも実物を手に取り、ちょっとお勉強もさせてもらった。
その時、やはり、この「本朝二十四孝」を題材とした浮世絵も観る機会があったし(歌舞伎の演目にもあるから浮世絵にもなってる)、そこからその話を知ることにもなった。



自分の中に何気なく起こった事実がこうしてずいぶん長い時間をかけてつながると、この公演の記憶っていうものも強く心に残るのだと思う。
過去のその時々というのは、ほんとにただ過ぎてしまうだけと感じるけれど、ある程度の長い時間が過ぎると自分の中に価値あるものとして残っていく。

毎日てんてんと起こるいいことも悪いこともさらりと忘れてしまっても、ひょんなことでつながっていくこともある。
つながったことに気が付くと、しばらくひとりニヤニヤしながら暮らせると感じている。


爆発的な喜びではなくてニヤニヤというのが味わい深いのです。





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