2013年12月25日水曜日

マレーシアのスマートな事情


わたしも2010年くらいからスマートフォンを使っている。

とはいえ、仕事をしているわけではないから、その機能を最大限に活用しているとは言いにくいところ。
もっぱら使っている機能と言えば。。
WhatsApp
Gmail
Waze
Google Map
SMS
Facebook
Camera

車を運転するようになって、スマートフォンがあることが最も便利と思っている。
もちろん、事前に行先をネットで確認してからWazeに設定して使っているんだけどね。ナビとして使うならGoogle MapよりもWazeのほうが役に立つと感じている。
WhatsAppとFacebookのメッセージ機能は同じくらいの割合で使っている。けど、そんなに友達も多いわけではないから宛先はいつも決まった人たちと。



おかあさんは70代だけど最近スマートフォンにした。60代のおばさん達もそう。

個人的な感覚ではあるけど、日本に比べてマレーシアでは比較的年齢が上の世代も新しい技術に積極的に挑戦していく傾向があるのかもしれないと感じる。
そして、その大きな原動力というのが所属するコミュニティ(民族的、宗教的な)によるものなんではないかと思う。そういったつながりというのは、マレーシア国内だけではなくて親類縁者が他国にいる立場の人も多いというのも大きな理由の一つかもしれない。
スマートフォンを持つ前までは、おかあさんやおばさんの世代はインターナショナルコーリングカードやメールを使っていたけど、今では通話料が無料で会話できるアプリを使っている。こういうところに、コミュニティの築いてきたものというかコミュニケーションの単位が見えるような気がするね。
もちろん、今でも毎日のように電話で話す相手もおかあさんにはいるし、ランドラインというのがなくなることはないとは思う。
でも、新しい技術に対して人に興味を持たせたり必要と思わせたりするというのは、やっぱり人間でありその人自身の所属する何かなのかもしれない。
歳を重ねるごとに自身の所属という意味では立場や範囲が狭まってくるのかもしれないし(もしくは孤独な事もあるのかもしれないが)、物理的に人と出会うことが少なくなっていくのかもしれない。
でも、こういう世の中の新しい技術を積極的に日常に取り入れることによって、その人がその人であることを感じられる(誰かに必要とされるとか、自分の立場がある)という面もあるのじゃないかな。




だんなさんは、「料金が安いというのが最大のモチベーションである」と言うけどね。
もしかしたら、「おしゃべり好きである」というのが一番の原動力であるのかしら???

2013年12月20日金曜日

先進国入りなるか?⇒それはおトイレにかかっている⇒と、思う日本人


マレーシアは2020年には先進国入りを目指している。

何をもって先進国入りというのかは、日本で生まれ育ったわたしにはよくわからないが。。


先週、おかあさんの家でおにいちゃん家族とわたしたちとで夜ご飯を食べた時のこと。
食後にわたしとお義姉さんで後片付けをしている時に、マレーシアのおトイレの話になった。


マレーシアのおトイレはだいたいがまぁ、びしょびしょなの(女子トイレしか知らないけど)。
ホース状の水が出るものが備え付けられていて、ビデとして使うから盛大な水撒き状態になるという事。
トイレットペーパーは必ずしも個室に設置されているわけではなくて、洗面台の近くにあったり、または紙などないという潔い状況のおトイレもある。

洒落た場所ならあんまりそういう状況のおトイレに行く羽目にはならないけど、普段の生活をする範囲ではかなりの確率でビショビショのおトイレに行かなければならない。
そうなると、ちょっと履物を考えてしまう。=行く場所によって靴が変わり、服装が変わってくるという感じ?
何を着たいかというより、どこに行くかという事で服装にも大きな変化が出てくる。



で、おかあさんとお義姉さんとのおトイレの話。

おかあさんとお義姉さんの行動範囲は違うから、それぞれにとっての綺麗なおトイレのスタンダードも違う。

・おかあさんの言うところの綺麗なおトイレは、多少ビショッとしていてもお掃除レディーがいて常に気を配っている所。
・お義姉さんが言うところの綺麗なおトイレは、ビショッとしてなくてお掃除レディーがいて常に気を配っている所。
・わたしは意外と気にしていない。が、もちろん乾いているおトイレのほうがいいかなぁぐらい。


でも、二人が共通して言っていたのは、二人ともお掃除レディーがいる所では必ず「おトイレ綺麗にしてくれてありがとう!」と伝える事にしているという事だった。
なんでも、お掃除レディーにそういった感謝の気持ちを伝える事が綺麗なおトイレのためには最も効果的なんじゃないかという話。
彼女らのお給与には何も返ってこないかもしれないけれど、どの国の人でも人間であれば必要とするおトイレを綺麗にしてくれる人にちょっと声をかけるというのはまったく悪いことではないしね。

と、共に、多くの人がマレーシアへやって来て、必ず利用するおトイレ。ビショビショでないほうがいいとは思う。
まぁ、綺麗なおトイレを継続するのはその国の国民だけでなく、他国からの人々の使い方によるところもとても大きいと思うけど。

つくづく、スタンダード・マナーというのは同じ前提を持つ人であるから規定できるものなのかと?
まず、マレーシアに住む国民でも各文化の違いがあり、そこに多くの違った国からの旅行者や居住者がいるという事は、そのスタンダード・マナー・ルールというのを規定するのは容易な事ではないんだろうと感じる。


言いすぎかもしれないけど、みんなが必ず使うおトイレは国の顔にもなるんじゃないかな?
2020年にマレーシアのおトイレはどうなっているのでしょうか~?







2013年12月11日水曜日

Good Luck!わたしはまだここにいますけど♡


仲良くしてくれた友達が引っ越すって確かにさみしかったりするんだけど、正確には「さみしい」という言葉ではないような気がしている。

「さみしい」と言ってしまうと、どこか茫漠としたものがありそうで不安な気持ちのほうが強く表れている。
でも、たいていKLから日本や他国へ引っ越していく人達には、不安と期待の両方が感じられる。


もしかすると、モヤモヤと考えている間もないくらいに移動前後には忙しいスケジュールがあるからかな?
家族が国を変わって丸ごと移動するような引っ越しプロジェクトには、ちょっとした高揚感があるのかも。そして、この場合に奥さま達はプロジェクトマネージャーみたいなものと思う。


わたしもその高揚感のようなものに影響されて彼女の引っ越す国に興味がわいてくる。
近所の気軽な友達はちょっと遠い所へ行ってしまうけど、おかげでわたしの行動範囲を広げてくれることになるのかもしれない。
そう考えると、見送る側のわたしもやっぱり「さみしい」というのではなくって、「新しい経験へのきっかけが未来にありそうだ!」という期待が生まれる。

そしてその期待には、「こうしてKLで仲良くしてくれた友達とここではない所で会えるんだな」というイメージが広がってくるのね。

どこで会っても呑んだり食べたり眠くなったり、何の話でもおもしろいはずだ。

ちょっと涙がでちゃうな~
ありがとう!
Good Luck!




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そんな近所の彼女へはこのようなバッグを作りました。
マグネットボタン付きのクラッチバッグ。バッグinバッグとしてでも使ってちょ。

















2013年10月7日月曜日

普通の日

今日、朝起きてすぐにしたこと。
2007年に日本を出た時に持ってきた母子手帳を見る事。

だんなさんに「いってらっしゃい」と言ってから、おかあさんの家に行って彼女の家族のように大切な女性と3人で少しお茶を飲んで、家に帰って夕飯づくり。

今日も普通の一日でよかったと思う。
普通の一日は人生の中で何日あるか。

だんなさんは今日も普通に帰ってきた。
これから夕飯。

あらためて普通の一日をありがたく思うのが今日。

明日も普通の一日となりますように。。

2013年9月26日木曜日

おかあさんのチキンスープ;Khurudi(クルディ)


女性のほうが比較的すっぱいものが好きかな?

おかあさんが作ってくれるKhurudi(クルディ)というスープも、チキンスープではあるんだけれどすっぱい。
とてもリフレッシングで滋味にあふれている。
でも、家族の男性陣にはあんまり人気がない。。

お友達との家での昼ごはんに食べてもらった。
彼女は胃がドンドコと落ち着かないことが前日からあったけど、このスープが胃にしみわたってなんか元気になっていた。



では、作り方紹介。

≪材料≫
☆グリーンチリ(長いの) 6本
↑本来ならば辛いはずのチリだけど、最近は辛いのが少ない。比較的長いサイズを選ぶと辛いものに当たるラッキーがある。

☆レッドオニオン 2,3個
↑日本で一般的な玉ねぎではない。カレーにも使うレッドオニオンを是非。でも、洋風のやつじゃないよ。

☆ガーリックペースト 1tbspを目安とするけど好きなだけ
☆ジンジャーペースト 1tbspを目安とするけど好きなだけ
↑塩を入れて保存してるからいい感じになっている。もちろん、フレッシュで作ったものでもいい。

☆塩 お好きな塩加減で
↑保存してあるガーリック・ジンジャーペーストを使うなら、そこに含まれている塩も考える。

チキン 骨付き皮なし半羽ぐらい
↑もちろん骨付きでがいいけど、子供が食べるとかを考えるなら、あらかじめ骨なしの部位をくわえるといい。

水 1リットルぐらい
↑煮込む過程で適宜足していくので、そんなに気にしない

ベジタブルオイルなど 適宜

ガーリック 2片
↑ペーストとは別にスライスに

クローブ 5個ぐらい

小麦粉 1tsp

ミントリーフ 好きなだけ

フレッシュライムジュース 好きなだけ

牛乳 1cupほど
↑なくてもいいけど。



1;☆印を全てブレンダ―などで細かくする。
2;チキンは食べやすい大きさに切る。
3;鍋にブレンダ―にかけた☆印、切ったチキン、水を入れて煮込む。
4;チキンが柔らかくなって、ブレンダ―にかけたもののかたちがなくなってくるまで煮込む。
5;耐熱容器にスライスしたガーリックとクローブを入れて、オイルを少々注ぐ。それを電子レンジでガーリックがこんがりするまで熱する。
6;電子レンジから出したら、すぐに小麦粉を加えて混ぜる。
7;6でできたものを鍋に加える。とろみがでます。
8;牛乳を加える。
9;ミントリーフとライムジュースを加える。あんまりすっぱくなると食べられない人もいるのでほどほどで。
10;味をみて、塩が必要なら加える。
11;器にスープを入れたら、もっとすっぱいのが好きな人のためにもライムを添えるといいでしょう。



このスープを食べるときは、たいてい豆が入ったバスマティライスを一緒に食べる。
シンプルな野菜のピラフなんかと一緒に食べてもおいしいと思うよ。

ジンジャー、ガーリックの入ったチキンスープということで、そんなに複雑なもんではない。材料もブレンダ―に入れてしまえばいいわけだしね。味の調整はお宅の好みでどうぞ。

ライムジュースとミントリーフがなんともさわやかで、ほんとにおいしいんだよ!!
風邪の時なんかにもいいと思う。

是非おためしを~
































2013年9月9日月曜日

かしこい小学一年生


うちのお母さんは学童でアシスタントをしていて、わたしが帰る度に小学生のおもしろ話をしてくれる。


学童では放課後の時間に宿題したり、おやつを食べたり、お掃除したりとするらしいんだけど、その中でのおもしろエピソード。

学童に通う子供たちが使用するトイレのお掃除も彼らの担当で、なんと!おトイレの床まで雑巾がけするんだそうだ!
きっと子供たちのお父さんやお母さんが見てもびっくるするんじゃないかな~



いろんな学年の子供たちのいる学童、ある小学一年生はトイレットペーパーについて下の絵のように頭を使った。

わたしは家でこんな事しないが、トイレットペーパーってよく三角に折ってあるよね?
ある小学一年生はこの三角の作り方がわかんなかったみたいで、「三角風に見えるように、トイレットペーパーの先をキュルッとこよってみる」という工夫をした。



















「侮れない回答」。
何とか考えてここへたどり着いた事を想像すると、小学一年生ってかしこいなと思った。

2013年8月8日木曜日

taste of india

日本では全く着る機会がないけど、マレーシアならパンジャービスーツ着られるしチョイスもたくさんある。


ハリラヤ前におかあさんが買ってくれたのがこちら。














マレーシアでは南インド系の人が多いからか、インド系の衣服はとてもはっきりした鮮やかな濃い色のものが多い。
わたしはどっちかと言えば、北インドの色味が好みかな~。もう少しライトな色のものがある。
好み以外にも、わたしは日本人だしやっぱり濃いはっきりした色に薄い顔がついていかないんだが。。。
これはトップとパンツとスカーフでRM80。お直しはお店でお願いするとRM15。わたしはおかあさんにやってもらった。

セットアップで着てもいいけど、白いパンツやジーンズでも着られる。



ちょっと前にKAMDARで買ったトップ。














KANDARの衣料フロアは結構いろんなものがあって、よく見ると好みのものがリーズナブルに買える。
自分では「似合わないかも?」と思っても、南国の太陽の下では意外とよかったりするんだよ。
ただし、縫製をよく見ないとがっかりすることもある。
でもね、これRM30とかだったからいいんじゃないかしら?



これはマレーシアでは買えないかもな~!














インド出張に行っただんなさんのおみやげ!!
柄×柄だけどシンプルでいいでしょ?襟元はルミナスカラー、そこにはミラーもついてるんだ。ニューデリーより。
ボンベイ出身のおばさんも、白などの色を基調に刺繍が施されたブラウスを買ってくる。時々見せてもらうのだけど、なんともいやらしさがないし、コットンの風合いもとてもやわらかで素敵。
そういうのであればこの薄い顔でもいいかもしれないよね。



マレーシアではあんまり服を買うことがなくなっているけど、ご当地ならではの服を買うというのは一番いいのかもしれない。
たまには真面目な服を着ることもあるけど、そんな時は「うへっ、きつい!」「何年前の?」とかあるからな。

ゆるゆるばかりの服ではだめだわね~。
あははっ!



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2013年7月22日月曜日

エキゾチックって?


15年ぶりにバンコク。






















10年一昔と言うのだから当たり前だけれど、まったく印象が違った。
街が変化をするように自分にも変化があっての感覚の違いとは思うけど、「こんな街だったかな?」と思ってしまった。

グレーな街並みは東京のようで、夜のにおいまでもが夏の東京のにおいのよう。
ルールを守る我慢強い感じも似ている。ちゃんと並ぶとか(笑)
暑い気候の中でも、美容に気を使うおしゃれな人が多い。



大都市というのはどこでもどんどんその個性を失って似てきてしまうのだろうか?

前回にはバンコクに東南アジアというのを強く感じたけれど、今回はこんなにも東京っぽいところなのかと驚くほど。
KLに住むようになったから余計に感じているのかな。それにまぁ、わたしは観光客だからわかっていないことも多いけれど。


新しいものと下町風のところが混ざり合っている。
バンコク

下町風というか人々の生活が見えるところが’路上’という感じ。道が狭いのに店が出てるとか。
KL

エリアごとにその雰囲気が分かれているような気がする。


交通機関の便利さ。
バンコク

タクシーがきれい、安い、そして正直。電車が便利で人々は整列乗車で降車の人を待つ!!歩いても目的の場所へ移動できる。
KL

悪名高いタクシー。電車もいいけど、一番の選択肢ではないしな。誰も並ばない。行きたい所へはやっぱり車があるほうがいい。


ショッピングの選択肢の豊富さ。
バンコク

ファッションは有名なものから新進のものなど幅がある。もちろんローカルなものも。食料品は宗教の制約が少ないせいか、日本食材を例にとってみてもすごい種類。在住日本人の数も比べものにならないほどだろうしね。お店で販売されているタイの特色ある雑貨やクラフト製品のセンスが良い?
KL

大きく分けて3つの民族の暮らすマレーシアでは、共通のファッションという市場は大きくないせいか、自分が日常的感覚でほしいと思う衣服ってあんまりないかなぁ?「だったら日本でさがすわ!」という気持ちがわく。どこでもだいたい売っている製品に大差ない。よく商売が成り立つなと。食料品もわたしは不便ないけど、バンコクと比べるとずいぶん違う。マレーシアだって素晴らしい雑貨やクラフト製品があるんだけど、なぜか?どうしてか?ダサく見える気がするんだよな。


小さなお店の気が利いてる。
バンコク

大きなモールはほんとにたくさんあるのだけれど、小さい店も小奇麗で気の利いたセレクトをしてる店が道を歩いていてもいくつか。
KL

モールはあるけど、やはり車が。。小さい店もたくさんあるよ!だけどそれは昔ながらの商店なんだよね(これはこれで好き)。何と言うか、店はモールかショップロットにあるものな感覚。



なんだか、「バンコクのほうがよい!」という感想になってしまいそうだけど、実はそうでもない。
バンコクも東京もKLに比べるとカラフルなキャラクターが薄い気がする。
外国人在住者の多い大きな都市なんだけれど、国民を成す各民族にそう差がないからかもしれない。
KLにも外国人在住者は多いけれど、やはりマレー系、中華系、インド系の文化やライフスタイルにはずいぶんと差がある。それによってエリア毎にキャラクターが残っている。

自分がKLに住んでいるし、家族もいるから「やっぱりここが好きだな」とも思うんだろうね。



また行きたいな。





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2013年7月1日月曜日

てんてんがつながると笑顔になれる

昨日は楽しみにしていた文楽の公演に出かけた。
https://www.facebook.com/theJapanFoundationKL?hc_location=stream
今回の演目は「寿二人三番叟」と「本朝二十四孝 奥庭狐火の段」というもの。


日本に住んでいる時には観たこともなかったけれど、いいもんだな~。
長く続いているものというのはどんな分野でも理由があるのだと思う。

海外での公演という事で、浄瑠璃を語る太夫、三味線や琴の演奏者、そして人形遣いによる細かな説明があってから鑑賞。
こういうところがとてもありがたいし、複雑難解そうな伝統芸能との距離を縮めてくれるものだと思う。あと、英語字幕もね。
劇場の大きさというのもすべてが見える広さであったのがよかったのかも。



中高生の頃に歌舞伎鑑賞教室というのが開かれた時にも説明があり、演目をより楽しく鑑賞することができた。もしそれがなかったら、今でも相当に敷居の高いものだっただだろうな。

それから、学生の頃は好きだったけれど、古文や漢文にも「?」な部分は多かった。そのまま授業として通り過ぎていくだけであったし。
でも、こういう演目を鑑賞する時に登場人物の台詞とかがある程度理解できるのは、その通り過ぎていたもののおかげだったのかもしれない。
現在では使われない言葉もその意味を習ったからこそイメージができる。
歴史の授業もしかり。

さらに時は過ぎ、イギリスに住んでいたころ。
ちょっとバイトをさせてもらったのが浮世絵に関する場所だった。
それこそ、浮世絵は博物館や美術館でフレーム越しに観るぐらいであったけど、ここでは短い期間ながらも実物を手に取り、ちょっとお勉強もさせてもらった。
その時、やはり、この「本朝二十四孝」を題材とした浮世絵も観る機会があったし(歌舞伎の演目にもあるから浮世絵にもなってる)、そこからその話を知ることにもなった。



自分の中に何気なく起こった事実がこうしてずいぶん長い時間をかけてつながると、この公演の記憶っていうものも強く心に残るのだと思う。
過去のその時々というのは、ほんとにただ過ぎてしまうだけと感じるけれど、ある程度の長い時間が過ぎると自分の中に価値あるものとして残っていく。

毎日てんてんと起こるいいことも悪いこともさらりと忘れてしまっても、ひょんなことでつながっていくこともある。
つながったことに気が付くと、しばらくひとりニヤニヤしながら暮らせると感じている。


爆発的な喜びではなくてニヤニヤというのが味わい深いのです。





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2013年6月27日木曜日

風呂敷インドスタイル


日曜日におかあさんの家に行ったついでにいらない生地をもらってきた。

布を誰かにもらうのって、自分では買わないようなものがあるからおもしろい。
さらには、ソーイング歴60年以上のおかあさんの所には今はもうないようなものもあるから。
外国人のわたしにとっては新鮮に感じられるものもある。

おかあさんはたくさんの生地を風呂敷のようなもので包んで整理している。
それがこちら↓










形は日本の風呂敷のように正方形だけど、布の端をしばって包むのではなくて角に紐をつけてクルクルして包む。

この包みはおかあさんのお義母さん(だんなさんのお祖母ちゃん)からのなんだってさ。
半世紀はたっているんでしょうか。。

ところどころにほころびがあって繕っているけど、生地の風合いはとても優しくなっている。
なんか、自分のお祖母ちゃんが寝巻に使っていたガーゼの浴衣みたいでとても懐かしい感じがする。
おかあさんが「いいよ」と言うので生地をもらったついでにこの包みももらった。

例によって、だんなさんからは「これどうするの?」っていう言葉が来たけどね。
でもさ、お祖母ちゃんのものがあるっていいと思うけどね。
使い道もあるのだし。

まだ、結婚したての頃に日本人もこういう風に衣服を包んだりする事をおかあさんに話したら驚いていた。
アジア地域の共通点なのかな?




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2013年5月6日月曜日

ジュエリーというもの


ベルリン在住のわたしのお友達はジュエリーデザイナーです。

http://naokoogawa.com/top.html
https://www.facebook.com/NaokoOgawaJewelryWorks

マレーシアに住んでいると家族の影響もあるのか、ジュエリーに対する見方って少し変わってくるのかもしれない。
なぜなら、ジュエリーショップというものの多くがゴールドや石を扱うという事を中心としていて、デザインというものに作家の個人名が反映されることがあまりないから。
もちろん流行りなどもあるのだろうけどね。
宝飾品=財産という面が強いのかもしれない?


彼女の発表してきている作品は、そんなわたしの鈍った感覚をリフレッシュしてくれるものだと思う。
ジュエリー抜きでTシャツ+短パンで過ごしているわたしにとっては、いま一度「こういうふうに身に着けたいな」とか想像させてくれるものね。


わたし個人としてはマレーシアで「これぞ!」と思うようなものには未だ会ったことがない。
今後、マレーシアをはじめとする東南アジアの成熟によっては材料の価値というものが全面に出ているものから、「デザイナー・作家」の名前というのが大きな価値となっていく面もあるのかもしれない。(不勉強なわたしの想像だけど。。)

価格も材料もチープなものが溢れているこの地域で、材料の質とその制作者の一面がもっと評価されていく時が来てほしいな~


naoko ogawaのジュエリーを身に着けたら、「自分+彼女」でちょっと心強い感じもするでしょ?


マレーシア進出も待ってます!!






フェイスブックに書いたことをブログにも書いてみる。
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わたしは普段あんまりジュエリーというのを身に着けることはない。
というか、そういう機会があんまりないから。ピアスをしたってずっと同じものをつけっぱなしというずぼらさ。
そして、最近はマレーシアでの犯罪も考えると結婚指輪以外何も身に着けていない。


一方でわたしのおかあさんをはじめとする家族の女性たちはピアスをしてないことなどないし、みんなジュエリーが大好き。年数回開かれるジュエリーフェアにも必ず行っている。


マレーシアのジュエリーショップではk22を主に扱っていて、ショップにあるジュエリーには~gという表記がしてある。その日の金の価格とワークマンシップに準じた売り方をしてるってこと。
だからディスカウントをお願いすることもできる。
現在はデザインも豊富で、ミドルイーストのトレンドを取り入れたものなんかも多くあるけれど、その昔はほんとにデザインの選択肢が少なかったそうだ。

とはいえ、日本人からすれば「こんなゴリゴリのデザインいつ使うの?」ってなもんだけど。中には探せば我々日本人でも素敵と思えるものもある。まぁ、それでも華奢なものはあんまりないけど。


デザインの選択肢が少なかった時代は、誰かが素敵なデザインのものを身に着けていると「わたしも~」という感じで、みんなゴールドスミスにオーダーして同じものを作ってもらっていたそう
わたしがおかあさんとおばさんにもらったピアスは全く同じデザインというのもある。

また、おかあさんが10代の頃に使っていた金のフープピアスは、現在のものに比べると格段に金の量が多い。たぶん技術的にも少ない金の量でジュエリーを作るというのが簡単ではなかったからなのかもしれない。(もちろん金の価格もあるけど)


こういったインドからのゴールドジュエリーというのは、ものすごい薄暗い工房でものすごい安い賃金で制作されているらしく、そこからはやはり制作者の名前など出てくるわけがない。

その職人たちの我慢強さや背負っている生活からこんな細工のジュエリーが生まれてくるのだけど。



もう一つ昔話。

インド系の人々が着ているサリーなどの衣装は、わたしも手軽に買うことができる値段のものもある。
ハレの日に身に着けるようなものは、それこそ日本の着物のように本物の金や銀の刺繍なんかが施されている。
おかあさんが若かりし頃には、そういったサリーをある意味リサイクル?のような方法で循環させていた。本物の金や銀が施されているから、サリー自体を燃やしてそこから残った金や銀を取ってまた新たなサリーを買ったり、ジュエリーに仕立てていたんだそうだ。
現在そのようにしている人がいるのかはわからないけれど。




ゴールド×インドでちょっと面白い記事があった。

http://www.bbc.co.uk/news/magazine-21994873

記事の中で印象に残ったのは、インドの地方では銀行口座を持たない人も多く、そういった人の中では金というのは投資とかいうのとは別な役割を果たしていること。もちろん貨幣を使ってはいるのだろうけど、金を持つ事が生活をどうこうすることに大きく関わっている。


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大学を卒業して10年以上が過ぎて、その期間様々な形で制作活動を続けてきているお友達がたくさんいる。
続けてきている事が彼らの作品だけではなくて、制作者の名前を作り上げていっているような気がする。
お母さんやお父さんにもらった名前が、場所や時間や事実を経てその作家自身の姿になっていってるんじゃないかな。

みんな素敵な人になっていっていると思う。




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2013年4月1日月曜日

おじいちゃんからの手紙4



お便りの絵はがきは、どこか目にしたことがあるかのような絵柄。
満期退営とあるのは中国大陸から帰ってきた人の事を言ってるのだろうか?

描かれた女性のようにこんなに深々とお辞儀することなど、わたしにはこの先もないかもしれないな。


年が明けて、昭和17(1942)年元旦のお便り。












お目出とう其方はお変り有りませんか
自分も益々元気で銃剣術に気合を掛けお陰で体重も増して本調子となりました
二六〇一年も終りを告げ三十と云ふ代変りの年を軍隊に迎へ
過去を返り見て感慨無慮です
班内の窓からは化粧した富士が朝日にそびへ屋根には眞白な霜が
隊では来る八日行はれる観兵式予行演習を毎朝起床同時行って居ります
皆んな元気で好い年を迎へて下さい
何と云っても体が一番大切ですから
〇ー坊は丈夫でせうね
お正月は五日頃迄外出面会も出来ず町のニュースをお便り下さい


わたしは30歳になった時に何にも違いを思わなかった。
よく、「30代は楽になるよ~」なんてことも聞いたりしたけど、特になんとも。
振り返るような過去を持ち合わせていないからかもしれない。

以前、団塊の世代の寿命は長いというのを聞いたことがある。
それとともに、それ以降の世代の寿命はその世代に比べれば長くないともいっていたような気がする。
いつか終りが来るのだけれど、もし日本人(わたしの世代)の寿命が65歳ぐらいとするのならば、たいして振り返るものがなくともおじいちゃんのように過去を見て姿勢を正さなくてはいけないのかもしれない。

どこに暮らしていても「何と云っても体が一番大切ですから」ね!!



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2013年3月31日日曜日

ひさしぶりに涙


のんきにPCの前にいたらキッチンからガサゴソする音。
「はっ?」と思い、キッチンに行ってみると猿がいた!!

「ぎゃ~!!」と叫んで猿に向かって行ったら逃げて行ったが、すっごい怖かった。

今朝はマーケットに行って、ソロパパイヤとみかんとグァバを買った。
キッチンカウンターの上に置きっぱなしにしてあった。


パパイヤは床に落ちていて、つるしてあったバナナも食べてたし、クラッカーの袋も開けようとしてしてたみたいで床に転がっていた。
ドライパイナップルも手をつけてたみたいだったから捨てた。。

















最近、家の裏の木を切ったせいもあるんだろうか?
動転しておかあさんに電話したら「わたしたちが彼らの住む場所をおかしてるからしょうがないわね」と。おかあさんのおうちの辺りではその昔、猿がおうちに入ってきてお米をひっくり返したり、玉ねぎをおいしそうに食べたてたりしてたんだそうだ。

今日のこのハプニングもわたしがマレーシアへ慣れていく上で必要な儀式だったのかしら?
猿の洗礼などなくてもよかったけど、のんきにばっかりいられない。
でも、びっくりした時に大声が出てよかったのかも。

窓にグリルをつけないとな。。
まだ、体がざわざわする。


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2013年3月27日水曜日

おかあさんのマトンカレー



このあいだお友達がおうちに来た時にマトンカレーを作りました。
おかあさんのレシピでね。


マレーシアに暮らすとカレーを食べる機会が多いし、それにとても気軽に食べられるものでもある。マトンをはじめとしていろんな種類のカレーがあるから、どれが自分の好みかもよくわかる。
その反面、外で気軽に食べられるから家で作らなくてもいいかな~、というふうにもなっちゃうんだけど。。

マレーシアのカレーは南インド系のものが多いし、そういうのは気軽なお店で食べられる感じ。北インドの料理はちょっと洒落たレストランで提供されていることが多いのかもしれない。
南インドのカレーはグレイビ―(汁、ルー)が軽くて、野菜や魚なんかも多く使われている。ベジタリアンの人が多いからかな?
北インドのカレーはグレイビ―(汁、ルー)が南インドのものに比べれば重めで、マトン、チキン、ビーフなんかの肉を使ったカレーが主流かな。

日本にあるインド料理店では北インド風が主流なよう。「ほんとはバターチキンカレーなんてない!」とだんなさんは言う。
まぁ、インドに拒否反応のある彼が言う事だからほんとかどうかはわからないが。。

イギリスもインド料理店はたくさんあるけど、それもまた大きく違った気がする。
甘めな味付けとゴロゴロとした肉や野菜。その重い感じというのはリッチとも言えるかもしれないけど、アジア人向けではないかもしれないな。
時々食べたくなるけど。




わたしのだんなさん家族は北インドがルーツだからか、みんなミートイーター。
とはいえ、カレーで一番おいしいのは肉よりもグレイビ―(汁、ルー)なんだと思う。



意外に簡単にできるから、作り方を紹介。


≪材料≫
マトン(ローカルマトンのレッグかショルダー)1/2キロ 
食べやすいおおきさに切る
玉ねぎ(赤いやつだがシャロットぐらい小さいやつじゃない)4-5個 
適当な大きさで、煮込むから気にしない
チリパウダーtbsp1/2
コリアンダパウダーtbsp1/4
ターメリックパウダーtsp1/2
ガーリックペーストtbsp3/4
ジンジャーペーストtbsp1/2
シナモン1inch
ブラックペッパーコーン好きなだけ
塩好きなだけ

※玉ねぎはたくさん入れるとグレイビーがたくさんできるよ。まろやかにもなるけど肉をそんなに食べない人はグレイビ―だけでも楽しめる。
※コリアンダーパウダーをたくさん入れると苦くなる。
※ターメリックパウダーをたくさん入れると黄色くなる。マトンカレーは赤っぽい色が目安だよ。
※ガーリック、ジンジャーペーストの分量をほんと目安で、好きなだけ入れてもいいと思う。
※塩はいつでもいいと思う。ガーリック、ジンジャーペーストは塩を加えて保存しているから、塩が強すぎないように気を付けたほうがいい。

1、    スパイスなど全部を肉と鍋でソテーする。油は入れない。
2、    玉ねぎが柔らかくなって水分が少なくなる程度までソテー。
3、    2カップぐらいの水(材料が水につかるくらい)を加えて沸騰。弱火で蓋をする。
4、    煮込み途中、水が必要とあれば適宜加える。
5、    お肉が柔らかくなったら、ちょい火を強めて玉ねぎがとけちゃうまで。
6、    グレイビ―がサラサラにしたければ、水を加えて調整。




インド料理ではガーリックペーストとジンジャーペーストが欠かせない。わがやもだけど、たくさん作って塩を入れて保存している。これらのペーストは煮込む肉を柔らかくする効果もあるんだそうだ。
おうちによっては、肉を柔らかくするときにはパパイヤなんかを使ったりもする。


マレーシアでローカルマトンという時、それはゴートです。
カレーを作る時、オーストラリア産のマトンやラムを使うとおいしくはできない。
なので、ローカルマトンを使うのがおいしい秘密なのかも?
TTDIではRM38/㎏とちょっと高いけど、スーパーでは見かけないようだからぜひお試しを!


まぁ、毎日食べるわけではないし、たまにはいいんじゃない?






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2013年3月26日火曜日

おじいちゃんからの手紙3


真珠湾攻撃があり、マレー半島へも日本軍が上陸した頃、おじいちゃんはまだ青山にいたようだ。


昭和16(1941)年12月10日のお便り。


お便り拝見致しました
向寒の折から母上様の神経痛叔母様又○子は??病勢如何ですか
自分は益々元気で軍務に精勤致して居りますから御安心下さりませ
又、○一郎君も無事入隊の事と存じます
一日一時間毎に世の中も変って行き来るべき合同問題も実施されんとし
日英米戦は開始され又入隊等非常に多忙をきはめて居る折から
面会、外出は勿論私事にはかまって居られない自分で有ります
書面にては思ふにまかせず店の事は○○氏に一任致し度く
今後如何なる状勢になるか分りませんが
又折が有れば相談致し度く何分宜敷く願ひます
○○子?


12月8日(真珠湾攻撃)を境にしておじいちゃんを含めて多くの人々が、家族や暮らし、国の今後を案じ始めたのだと思う。
家族からおじいちゃんへの手紙がないからわからないけれど、距離は近くてもなかなか会うことの叶わない人のことをいつも考えていたのだと思う。


現在わたしが暮らしている時代のように、自らで多くの情報を取捨選択して手に入れることの出来なかったこの時代の不安というものの大きさは計り知れないものだったのかもしれない。
でも、多くの情報を得ることの出来る現在でも、世界が果てしなく広がってしまっているようで、その大きさに手におえないような不安というのを感じたりもする。

自分とこの大きく広がっている世界がつながっている感覚が薄いからなんだろうか?



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2013年3月22日金曜日

我が家の近所


わたしたちが住んでいるところは所謂住宅街で、わりと昔からの住宅街。
ソラリスデュタマスにも近いし、モントキアラにもそんなに遠くないから日本食材だって買いに行かれるし、お友達に会うのもそう難しくはない。
中心街に行くのも渋滞がなければ10分ぐらい。
KLセントラル駅にだって空いてれば10分もかからない。(我が家は出張が多いから、駅まで送り迎えをよくやってる)

未だに緑も豊富だし、車の通りも少ないから、週末になるとジョギングや自転車に乗る人を多く見かける。結構、高低差のある地だから大変そ~と横目で見るだけだけど。

車がないとちょっと難しいけれど、一番近い駅にはがんばって歩いて15分ぐらいで着く。
車がない頃は歩いたりもしたもんだけど、今や全く歩かなくなり足腰の衰えの激しさったらない。時々日本に行った時に自転車に乗ると、筋肉痛になるほど。。



最近、一番近い駅であるPWTCに隣接されるショッピングモールがリノベーションされるという事を聞いた。

今はSunway Putra Mallという名前に変わったのだけど、それ以前はその名もThe Mallというショッピングモールで、今や無きヤオハンというデパートが入っていたんだそうだ。
そのせいもあってか、その周辺にあるコンドミニアムには日本人を含めて多くのロングステイヤーが暮らしていたらしい。現在は、入居者に学生さんなんかが増えていると聞く。
たぶん、このモールのこれまでの状況がほんと「廃れた、寂れた、死にそうな」というふうになってしまったからなんじゃないかな。
スーパーをはじめとして、他のテナントも、わたしが暮らしている期間でもこのひどさは悲しくなるくらい。すごく良く言えば、ものすごいどローカルショッピングモールということなのかも。
Chow Kitマーケットにも近いから、それこそ下町というエリアなのだと思う。

そんなモールにあったお店たちがどんどんと閉店していって、なおさらどうしようもない風になってしまった。
どうしようもないなりに、一番近いし、時には車を停めて電車に乗ったりもしていたし残念なこと。

スーパーのお兄さんによれば、3月末で閉店して、今後約2年をかけて全館のリノベーションをするんだそうだ。
2年て長いな~と思う反面、このモールがまた活気のある場になっていったらいいなと思う。

それから、わたしたちの家も多少のアプリシエーションがあるかしら?なんて思ったり。
まぁ、PWTCと言えばUMNOビルディングだし、マレー風味たっぷりなショッピングモールになるのかも?


車は必要だけど、ほどよく下町に近いこの場所も悪くはないよ。



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2013年3月11日月曜日

おじいちゃんからの手紙2


おじいちゃんが所属していた部隊は内地でいくつかの土地を移動して最終的にスマトラへ向かった。最初は東京にいたけど、演習の際には遠出をしていたみたいだ。

前回のお便りでは「毎日のように代々木にて教練して居りますが~」とあったけど、そこは現在の代々木公園。



今回のお便りは写真のハガキ。
昭和16(1941)年8月19日。
写真の様子は、「歩兵突撃ノ實況(於冨士裾野)」とある。













暑い東京を逃れて富士滝ケ原へ
日中は相変らず暑いですが朝夕の気分は皆さんの想像におまかせ致します
益々元気で体重も増し演習に勤めて居りますから御安心下さい
二十二日は帰営の予定ですが其の時は軍装の寫眞をお目に掛けます
皆様に宜しく





東京から離れて富士山の麓の地へ演習へ行った時のお便り。
入隊から約2ヶ月でこんな写真のような事を行っていたんだろうか?
これから各地へ出兵していく人々にとって、ここでの演習は肉体的なことだけでなく、富士山そのものの景色と、その景色とセットになっている感情というのを強く心に焼き付ける事になったんじゃないかと想像する。


最近、友達が撮った富士山の写真を見たけど、とても美しい日の光の中の富士山でした。





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2013年3月8日金曜日

おじいちゃんからの手紙1


今回の一時帰国で戦中のおじいちゃん、家族、友人とのハガキを持って帰ってきた。

日付が曖昧なものや、よく読めない字があるけどなるべく時間に沿って順にブログに書いていきたいと思う。

大正2(1913)年生まれのおじいちゃんは派遣先がスマトラ島だった。ちょうど今年はおじいちゃんが生まれてから1世紀!!
お便りは検閲があったのだからネガティブな事はほとんど書かれていないけど、それよりもやっぱり、限られたスペースに家族の事以外を書くなんて考えられなかったのかもしれない。





では、今日は昭和16(1941)年7月22日のお便り。
ハワイ真珠湾攻撃の前のこと。。

涼しすぎる夏、雨ばかり降って不順な毎日ですが、皆さんお変り有りませんか
僕も元気で変りなく教練に内務に勤めて居りますから御安心下さい
入隊以来早くも一ヶ月余軍隊の飯も食べられるようになりました
けれども味等全然分りません
変れば変るもので野外に出て食べるハンゴ飯が一番楽しみで有り味なものです
二子多摩川へ七里の行軍は実に楽しい一日で旅行以上でした
毎日のように代々木にて教練して居りますが行き交う人もなつかしく、今度の休み迄には面会もできる事だろうと思います
○○子は好く笑うように成りましたか
だっこしてやりたいです
乱筆にてお便りまで...




おじいちゃんが軍隊に入ったのは彼が29歳の時ということになる。
東京の芝で鉄問屋をしていたおうちに生まれ、東京の繁華街を目にしながら暮らしてきたおじいちゃんにとって娯楽の少ない毎日というのはどういうものだったんだろうか?
このお便りは青山から送られている。ここから多くの人が各地へ派遣されていくことになる。




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2013年3月7日木曜日

日本からのやわらかいもの


ずっと放りっぱなしのやわらかいもの。
ブログに書いておかないと忘れちゃうわ。

ということで、さらりと。

これらもやっぱり何かの折の記念品だったりするのだけど、今見るとなかなか素敵。
綿の風呂敷、正絹の風呂敷、化繊の風呂敷とどれもそれぞれにいいとこがあるのね。



まずは化繊もの。










鮮やかな色合いが素敵だし、色のわりに豪快なデザインが意外だ。

次は綿の。










からし色って好きだな~
柄の種類と組み合わせが少し民藝を感じさせる。


これも綿。










柄部分の丸い模様に少しずつ違った色を注している。
会社の名前も染め抜いていて、生地もとってもしっかりしている。
きっと使っていく毎に良い風合いになるんでしょう。


これも綿。










細かく連続する柄は小さな花のようにも見えるし、空を飛ぶ鳥の群れのようにも見える。
伝統柄なのかしら?
にしても、紺と白だけでかっこいいデザインを作るもんだよね~



日本に帰国すると、デパートの和装フロアーの小物を見てみたり、きもの屋さんをのぞいてみたりするんだけど、現代では結構風呂敷って高い商品なんだね?
しかしそれと同時に、過去には叶わなかったものを現代の技術をもって生産したり、伝統的な工法を用いて新なデザインに挑戦したりしている商品を見ると、思わず買ってしまいたくなる。

自分には今のところ、あまり風呂敷を使う機会がないから金額と相談すると実際に買うことって多くはないけれど、その商品を製作している人のことを思ってみるとついつい。。?
だって、そういうものって日本じゃなきゃ買えないもんな~




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