2013年3月26日火曜日

おじいちゃんからの手紙3


真珠湾攻撃があり、マレー半島へも日本軍が上陸した頃、おじいちゃんはまだ青山にいたようだ。


昭和16(1941)年12月10日のお便り。


お便り拝見致しました
向寒の折から母上様の神経痛叔母様又○子は??病勢如何ですか
自分は益々元気で軍務に精勤致して居りますから御安心下さりませ
又、○一郎君も無事入隊の事と存じます
一日一時間毎に世の中も変って行き来るべき合同問題も実施されんとし
日英米戦は開始され又入隊等非常に多忙をきはめて居る折から
面会、外出は勿論私事にはかまって居られない自分で有ります
書面にては思ふにまかせず店の事は○○氏に一任致し度く
今後如何なる状勢になるか分りませんが
又折が有れば相談致し度く何分宜敷く願ひます
○○子?


12月8日(真珠湾攻撃)を境にしておじいちゃんを含めて多くの人々が、家族や暮らし、国の今後を案じ始めたのだと思う。
家族からおじいちゃんへの手紙がないからわからないけれど、距離は近くてもなかなか会うことの叶わない人のことをいつも考えていたのだと思う。


現在わたしが暮らしている時代のように、自らで多くの情報を取捨選択して手に入れることの出来なかったこの時代の不安というものの大きさは計り知れないものだったのかもしれない。
でも、多くの情報を得ることの出来る現在でも、世界が果てしなく広がってしまっているようで、その大きさに手におえないような不安というのを感じたりもする。

自分とこの大きく広がっている世界がつながっている感覚が薄いからなんだろうか?



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