2010年5月18日火曜日

素敵なもの

おかあさんに端切れをもらいに行った日。
いろんなとこをごそごそ掘り出してるとこんなものに出会ったよ。



これはシルバーで作られたキーホルダー(後ろの筒は花瓶なんだけども)。
小さいシルバーでできた玉からシャンシャンと音がする。
玉の中は中空ではないんだけど鈴みたいなものだね。


日本も昔はそうであったように、マレーシアでも家族で同居するのは当たり前だった。旦那さんが小さい頃も、おばあちゃんとおじさんたち家族みんなで一緒に住んでいたという話。
インドでは今もそういうところはけっこうあるのかな?ヒンディーチャンネルはいっつも家族のどろどろドラマばっかりだし。。。

というわけで、このキーホルダーは女性が家の鍵のすべてをつけていつも衣服につけていたものなんだって。通常はその家お母さんが鍵を身につけているんだけど、お母さんが出かけるときなんかはお嫁さんがその役を担い鍵を受け渡されるというみたい。
おかあさんも昔はサリーを着ていて、実際にこのキーホルダーに鍵をつけていつも身につけていたんだって。時が経つにつれて、キーホルダーというよりもアクセサリーのような感覚で使うようになったと。

こういう小さな小物でも、結局は女の人が家に対しては責任を持つんだなっていうのが感じられる。おかあさんも話していたけど、「結婚初めは男の人がボスでいいのよ。だって、そのうち自然に女の人が家のボスになっちゃうんだもの。だから、みんな10年は待たなきゃ。」ってね。ふふふ。なんかおもしろいよね。


今はすっかり使わなくなったキーホルダーをわたしにくれた。
うれしいと思うと同時に「責任もあるのかしら?」なんて気も。。。


家に帰って旦那さんに「これなんだかわかる?」って聞いたら、「うーん、なんか見たことあるな。」だって。
旦那さんの記憶にもうっすらと残っていたもの。
やっぱりストーリー(思い出)のあるものってなんかどこか違う。
そして、ものが多くなかった時代のものほど蓄積されていったものが多いかもしれないなぁ。
デジタルになった時代では、記録できる量も多くなって鮮明さも保てるようになったとしても、ものから時間の経過を肌で感じることまではまだできないのかもしれない。
そのうちそんな感覚でさえ再現できるようになるのかな?



わたしは高校生の時の古文の先生の授業が大好きだったのだけど、それは先生のせいだったのかもしれない。クラスメート達はその先生の授業にあまり興味がなかったようだけど、わたしはその先生の語り方や顔つき(麻呂顔というのか)がいかにも古典的な風情で、すごーく情景が広がった。
先生をものに例えるのも悪いけれど、どんなに古いものでもそのものひとつで、すごく昔の出来事と今の気持ちをつなげることもできるんだろうなと思う。
(※自分の覚書:僧侶、牧師、イマームなども、そういった昔の出来事と今の気持ちをつなげる人なのかな?)


ちょっと、思いをはせてしまったけど、現実的にはこれに似合うバッグをつくりたいな。
そしたらいつも持ち歩くもんね。



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