2012年5月28日月曜日

おむつってそんなに大きいの?

わたしの住んでるとこから車で3分。
もっとも近い日本人のお友達にもうすぐあかちゃんが産まれる!


今日は英語勉強会で少し遅めのベイビーシャワーのパーティをするのでプレゼントを作ったよ。



前回ポーチを作った時に、おむつなんかを入れるポーチについてコメントをもらったので、作り方を調べて挑戦。
こんなのができたよ。
あんまり優しい色合いではないが。。。












 表は黒小さいドットのコットン生地。KAMDARより。
ジッパーは蛍光イエローでパイピングは蛍光オレンジ。
ポーチのハンドルは内側の布と同じブルーのストライプコットン生地。KAMDARより。












内側はこんな感じ。
コットンのブルーのストライプ生地で、ポケットは表布と同じ。












ラッピングは紅白のリボンで小包風にしました。



出来上がったサイズをみると、幅24cm×高さ15cm×マチ8cmと思った以上に大きくてびっくりした。
赤ちゃんが育ち、最後にLサイズのおむつを使うようになると、これでも4枚ぐらいしか入らないんだそうだ。
おむつって意外と大きいんだね。



まぁ、おむつポーチにふさわしくなければ旅行なんかの時に使ってくれたらいいなと思うけど。。。




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2012年5月18日金曜日

日本からのかたいもの

わずか1週間ほどの日本だったけど、今回はちょっと実家からいいものを持って帰ってきた。


実家のお仏壇の下には何か古いものがあるので、お母さんと一緒にひとつずつ開けてみると意外なものがある。


こちらは朱塗りの盃。










どのくらい経つのか知らないし、何の機会に使ったのかもわからない。
家紋のようなものもあるけど、我が家の家紋でもないかな?


こちらは酒器。










ふたつで一対になっていて、お酒をお燗する「ちろり」というものなんだそうだ。
わたしには何だかわからなかったけど、周りの友達はけっこう知っていた。
持って帰ってきたのは、箱に書いてあった日付によれば大正14年の生産のようで、本錫でできている。一対のうちのひとつはどこかへ行ってしまったよう。
実は、もうひとそろいあって、それは昭和4年の生産。TMちゃんの家に行きました。



お祖母ちゃんか曾お祖母ちゃんの櫛と笄。








































螺鈿と鼈甲の2種類。
笄(こうがい)というのは結った髪に差して使ったんだそうで、鞘のようになっている。
鼈甲の笄は折れてしまってるので、アクセサリーにでもできるといいと思う。


箱には菓子器とあったもの。




















純銀ではないと思うけど、箱に入ってたので割ときれいなまま。
菊のようなデザインが素敵だし、裏を見ると豆のような足がみっつ。
南国のお菓子や洋風のお菓子でも合うのかな?



こういった品物だけではなくて、箱自体も素敵なものがあった。
持って帰らなかったけれどその箱は、料紙の上に木版の多色刷りによって宝船のような図柄が描かれていた。浮世絵のような手法かな。箱自体もその刷り物を纏う以前にとても丈夫に作られている。

わたしの実家は商売をしているので、運良くもこういうものをいただく機会が多かったのかもしれない。
それでも、現在に近づくほどに手の込んだものよりも、もっと身近な消耗品が送られることが多くなってきているのだと思う。

次回は、やわらかいものです。




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2012年5月14日月曜日

贅沢ってなにか?


今回の日本。
食べたものをざっと思い出してみよう。



実家での食事。お母さんと一緒に準備したり。

・たけのこ
採れたてのたけのこを八海山の酒粕に漬けて、練うにをのせてオーブントースターでちょっと焼く。食べる時に粉チーズをちょっとかける。

・新じゃが
皮ごと茹でたおいもをちょっと照りのあるソースでコロコロ。 

・新キャベツ
ちょっとのお水で蒸して、ナンプラーやお酢と一緒に。

・カツオ
シソ、ミョウガ、生姜の薬味まみれでちょっとお味噌の入ったタレで。

・つみれ汁
お母さんのつみれはちょっと荒目でおいしい。汁がアツアツでミョウガを最後に添えて。

・きゅうり浅漬け
間引かれた小さなきゅうり。箸が止まらない。

・焼きナス
これも薬味盛りだくさんで。

・とり天
から揚げとは違ってさっくり。

・たこ
うまい。


 外食。

・焼肉
地元のお店。キムチがおいしい。残ったのをお持ち帰りにしたらおまけのキムチがついてきた。きゅうりがしゃきしゃきのままキムチの漬け汁と和えてあるのがうれしい。

・おそば
神田まつやで瓶ビール、お酒、かまぼこ、湯葉、焼き鳥のしめに。わさびのおいしいこと!働いている女性の気遣いと、テーブルを共にするお客さん同士。男性客の心地よさそうな雰囲気。




これはわたし個人の味覚だけど、クアラルーンプールもラーメン屋さんやお寿司屋さんがたくさんあるので、あんまり日本で食べなくてもいいかな~というぐらいになってしまった。気候も関係あるのかな?
もちろん、日本で食べるのは格段の違いがあるのだろうけど、短い滞在期間では数ある飲食店から正しい店を選ぶのが一番困難なのかもしれない。高級すぎないでという意味で。
それよりも、初夏にかけての瑞々しい食べ物の数々を家庭で食べるというのが一番おいしいのだと思う。 おなか一杯になってすぐにゴロンとできるしね。

地元を自転車で走るとたけのこのにおいがしてくるし、葉の緑や花の色がキラキラとしている。空気は乾燥しているけれど、植物たちが空気中の水分を最大限に蓄えているせいなのかもしれない。
初夏の食べ物を食べると、その水分や瑞々しい力で体がすっとしてくる感じさえある。





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2012年5月13日日曜日

おみやげを持って


母の日には早いけど、ちょっと短い間日本に行きました。

最近、わたしにしてはせっせと作っているバッグ。
お母さんにはこれを作りました。





少し大きめのトートバッグ。
肩にも掛けられる位の持ち手の長さで、運動や習い事に行くのにも十分。1泊ぐらいなら大丈夫かも?
表布はボルネオ島のイバン族で用いられている柄のバティック生地。持ち手には少しドット柄生地。共にKAMDARより。
裏布は白のキャンバス生地。
接着芯をしてないので、なかなかやわらかで小さく折りたたむこともできる。



もうひとつ。お父さんの会社で働く女性へ。





A4サイズぐらいの小さいトートバッグ。リバーシブル。
表布は優しい色合いのバティック生地。MYDINより。
裏布は 白のキャンバス生地。持ち手はからし色のチェック柄コットン生地。
大きな柄のサイドと小さな柄のサイドでずいぶんと印象が違う。バティック生地でもこれぐらい明るい色合いというのもいい。
小さいので接着芯を入れてはりのある形に。



去年の誕生日におかあさん(わたしのブログでひらがなで書いてる時は義母の事)に裁ちばさみをもらったんだけど、これがほんとによく切れる!
それまでわたしは、小学校4年生の家庭科の時に学校で購入した裁縫セットのはさみを使っていた。可能かどうかはわからないけど、今度おかあさんと街へ行った時にそのはさみを研いでもらおうと思っている。
道具にその役割を最大に果たしてもらうにはちゃんと手入れをしないとね。手入れされた道具は作業をスムーズに楽しくする。






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2012年4月19日木曜日

はい!よろこんで!

月曜日に作ったポーチ。
写真を見て注文が入りました~。


と言っても、わがやのだんなさんからだけどね。
マレーシアの人へプレゼントするので日本風でというリクエスト。

こんな時に自分の持ってる生地を見てみると、意外と和風柄がないことに気が付くんだよね。
日本に行った時に見てみよう。


ポーチのかたちは前回と同じ。










表布は「福寿」の字が柄になっているシルク生地。
わたしが唯一持っていた日本風な柄だけど、 相手の人はそんなに歳をとってないと思うんだけど?
しかも、女性だろうしさ。












内側は縁起よく赤のストライプのコットン生地。
ちょっと前にガレージセールで。















はい、ラッピングはこんな感じで。
わはは、ずいぶん派手な袋でしょ?うっかりミラーになっちゃうね。
おまけで日本の鈴をつけました。


なんだかポーチってかわいいんだね!




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2012年4月16日月曜日

どうもありがとう

今年も英語勉強会からお見送りする人が。。。
あと1ヶ月弱のマレーシア生活の中、今日はSえさん宅で勉強会でした。

わたしは最近うまく時間をやりくりできなくて、勉強には不参加でしたがおやつを食べに行ってきました。
と、言うのは主旨がちがうけど。
ケーキをはじめ、いろんなおかしが出てきました。ごちそうさまでした。


今朝早く起きて、Sえさんにお見送りプレゼントを作りました。
今回はポーチ。(フェイスブックでポーチを作っていたお友達に影響されました。)

バティックとストライプのコットン生地を組み合わせて表に。
バティックはいつものMYDINより。


内側はライラックカラーの小さいドット柄のコットン生地。
こちらはKAMDARより。


こんな感じのラッピング。

Sえさんの着ているお洋服の色から選びました。(いつもとても明るいスウィートな色を着ている。)



誰かのために作るというのはイメージをするのも楽しいし、何よりも作る動機があるというのは作ることもただの作業にならないから楽しい。

またしばらくしたら会えるかな?
お気をつけて。。。




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2012年3月26日月曜日

英語勉強会での記事

だいぶ経っていますが今日のは長いです。

地主の友達が、前回の英語勉強会での記事が気になったという事で訳してみました。


※訳の間違えや理解の違い等あれば、どうぞ遠慮なくご指摘ください。

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Kony 2012 Video Reopens Uganda’s Old Wounds

ウガンダの古傷を開くKony 2012の動画

Joseph Kony is no longer a real threat to Ugandans, says James Arinaitwe, and the viral video distracts from the country’s more pressing problems.

Joseph Konyはもはやウガンダ人の現実的な脅威ではないのです。と James Arinaitweは言います。口コミで広がるこの動画は、ウガンダでのより切実な問題から注意を逸らしています。

I’ve been watching the media frenzy over the “Kony 2012” viral video now sweeping the Internet with a mix of interest and unease. I know a thing or two about Uganda’s troubled past. Born and raised in rural Uganda, I didn’t own a pair of shoes until age 11. By the time I was a teenager, I’d lost my whole immediate family—my mother to cancer, my father to AIDS, and my four siblings to preventable diseases like malaria and measles. As for Joseph Kony and his war, I grew up watching my brothers and sisters from northern Uganda fleeing to the south and central parts of the country with missing limbs, their lips, noses, or ears often cut off by Kony’s ragtag army of abducted children, who had eluded the well-trained Uganda People’s Defense Forces for more than two decades.

私は、現在、関心と不安の入り混じったかたちでインターネットを席巻しているKony 2012の動画を巡るメディアの騒ぎを見続けています。ウガンダの過去の問題のひとつかふたつは私も知っています。ウガンダの片田舎で生まれ育ち、11歳まで靴など持っていませんでした。10代の頃までには肉親を全て失いました。母は癌、父はエイズ、4人の兄妹はマラリアやはしかのような予防できる病でした。Joseph Konyとその戦火の中で、私は兄妹達がウガンダ北部から南部や中部へ逃れていくのを見て育ちました。手足、唇、鼻、耳はKonyによって拉致された子供達で構成された寄せ集めの軍(神の抵抗軍;LRA)の少年兵によって切り落とされました。LRAは20年以上にわたり、よく訓練されたUganda People’s Defense Forcesから追跡と掃討作戦をかわし続けました。

But this is not the reality of today’s Uganda. In fact, if you were to ask Ugandans about their concerns for the future of their country, Kony probably wouldn’t even surface in the conversation. After being indicted by the International Criminal Court for war crimes in 2005, Kony is said to have fled Uganda into the jungles of the Democratic Republic of the Congo and the Central African Republic. Sadly for the citizens of these countries, he still carries out random attacks there, but his army has been reduced to mere hundreds, and several of his top commanders have either been captured or killed.

しかし、これは今日のウガンダの現実ではありません。実際には、もしウガンダ人に国家の未来についての懸念事項を尋ねたなら、おそらくKonyの事は会話の端にものぼらないはずです。2005年、国際刑事裁判所に戦争犯罪で起訴されて以降、Konyはウガンダからコンゴ民主共和国と中央アフリカ共和国のジャングルへ逃れたと言われています。これらの国の人々には気の毒な事ですが、Konyはいまだランダムな襲撃を繰り返しています。しかし、現在までにLRAは兵士がわずか数百人までに減少し、何人かのトップ司令官は捕らえられたり殺害されたりしています。

For Ugandans, “Kony 2012” has reopened wounds that were well on their way to healing. Make no mistake: like nearly every Ugandan, I want to see Kony either captured and brought to trial or killed. In fact, I used to work as a volunteer for Invisible Children, the charity that produced the “Kony 2012” video and has a second one coming out today that will respond to criticisms that it exaggerated the number of victims or that it mishandled its finances. But the fact is, Kony is no longer a threat to Ugandans, and most of us working for a better Uganda would rather close this dark chapter of our history and move on.

ウガンダ人にとって、Kony 2012というのは癒されかけている傷を再び開くようなものです。間違いなく、ほぼすべてのウガンダ人同様、私もKonyが捕らえられ裁判にかけられるか殺害されることを目にしたいと思っています。私は以前、このKony 2012を製作したInvisible Childrenという慈善団体にボランティアとして働いていました。今日リリースされる2つ目の動画は、犠牲者数の誇張と団体の資金管理に対するこの団体への非難へ応じるものとなるようです。しかし、実際には、Konyはもはやウガンダ人の脅威ではないのです。そして、より良いウガンダのためにと働いている人々のほとんどは、この暗い歴史の幕を閉じ前へ進みたいのです。

Today the people of Uganda worry far more about whether their children will graduate from primary school, or whether they will have enough money to send them on to secondary school, than they do about Kony. Fortunately, there are solutions at hand. But I fear that videos like “Kony 2012,” along with news reports of Africa’s supposedly ceaseless woes, only detract attention from the ongoing rehabilitation and rebuilding taking place in northern Uganda. This work is being done by Ugandans themselves, with help from the government and NGOs such as BRAC, where I currently volunteer.

今日、ウガンダの人々は、自分の子供達が小学校を卒業できるかどうか、中学校に通わせるお金があるのかどうかというのをKonyの事よりももっと心配しています。幸いにもそれについて解決策はあります。しかし、アフリカで絶え間なく起こっているとされる苦難の報道の数々に加え、Kony 2012のような動画は、現在ウガンダ北部で進んでいる復興や再建から注目を逸らすことにしかならないのではないかと危惧しています。こういった復興・再建は、政府や現在私がボランティアとして働いているBRAC のようなNGOの力を借りてウガンダ人自身で進められています。

I also fear that focusing on Kony himself will detract attention from the conditions that created him in the first place. Kony was, like the dictator Idi Amin before him, a school dropout.

それから、Konyという人物自身に的を絞るのは、そもそも彼のような人間を生み出してしまった状況から注目を逸らすことになるだろうという事も危惧しています。Konyも独裁者Idi Aminのようにあまり教育を受けませんでした。

My advice to those able and willing to support Uganda: focus not on the monstrous figure of Kony, but instead on the problems that gave rise to him and their solutions, so that people like Kony and his Lord’s Resistance Army will remain where they belong—in history books.

ウガンダを支援できる人、また支援したいと考える人への私のアドバイスは、Konyの非道な人物像にではなく、その代わりに彼のような人間を生み出した問題とその解決策へと焦点を当てるという事です。そうすることにより、KonyやLRAのような人々が歴史の中のあるべき所に残ることでしょう。

Uganda still suffers from huge inequalities in its education system, which favors the wealthy and the urban at the expense of the poor and the rural. Our educational curriculum is an old colonial model that undervalues 21st-century work skills. We need more emphasis in the classroom on creative thinking, social and emotional learning, and entrepreneurship. This is particularly pressing because Uganda is the youngest country in the world, and less than 20 percent of its youth have formal-sector jobs.

ウガンダは未だ教育システムにおいて大きな格差に悩まされています。富裕層や都市部を優遇し貧困層や農村部が犠牲になっています。この国の教育カリキュラムは古い植民地時代のモデルで、21世紀の仕事に必要とされる能力に合っていません。私達は、起業家精神、クリエイティブな思考、社会性と情動の学習(SEL)に重点を置いた授業を必要としています。ウガンダは世界で一番新しい国なので、とりわけ教育については緊急の課題です。公務員、民間大企業、外資系企業等のフォーマルセクターで働く若者は20%にも満たないのです。

Uganda also still lacks a functioning and equitable health-care system with enough practitioners both in primary and acute care, including physicians, nurses, and public-health professionals. There are more than 30,000 children affected by a mysterious “nodding disease” in the same region where Kony and his LRA once operated. Perhaps the “Kony 2012” video could have called upon health experts or philanthropists to help find a cure for this fatal disease instead of, or in addition to, demanding a manhunt.

ウガンダでは依然として、プライマリーケアや救急医療の両面の専門家(医師、看護婦、公衆衛生専門家)の数を含め、機能的で公平的な医療制度が十分ではありません。かつてKonyとLRAの支配地域であった所では、およそ3万人もの子供達が不可解な頷き病というものに侵されています。もしかすると、Kony 2012の動画はKonyの捜索を訴える代わりと言うか、それに加えて、医療専門家や慈善活動家にこの死に至る病の治療法を探る助けを訴える事になったのかもしれません。

This kind of work doesn’t get much media coverage, nor has it gone viral. It’s neither dramatic nor sexy. Dealing with Kony’s aftermath means, for instance, building new systems for education and health care in areas the government had difficulty reaching during the war. Yes, there are heroes who will help Uganda today, but it’s not just the Americans swooping in to take out Kony. BRAC, for instance, is a global development organization based in Bangladesh, born out of that country’s own devastation after its liberation war 40 years ago. It is also the largest (and probably fastest-growing) NGO in Uganda. Working in partnership with the MasterCard Foundation, it now touches the lives of 2 million Ugandans, a number on track to double by 2016. “Second chance” primary schools in the post-conflict zones in the north have already given 13,000 Ugandan students, including many of Kony’s former abductees, a new shot at education.

こういった教育や医療の事はあまりメディアでは報道されないですし、また口コミで広がることもありません。劇的でもセクシーでもないからです。Kony時代の爪痕への対処解決は重要な事です。例えば、政府が戦火の中では手を付けるのが難しかった地域での新しい教育制度や医療制度の構築です。もちろん、今日ウガンダを助けるヒーロー達がいます。しかし、ヒーロー達と言うのは、Konyを捕らえるために急襲を仕掛けるアメリカ人達だけではないのです。例えば、バングラデシュを拠点とするNGOのBRACです。 この団体は40年前のバングラデシュ独立戦争後の荒廃の中から生まれました。ウガンダでは最も規模の大きい、そしておそらく最も急速に拡大しているNGOでもあります。マスターカード財団とのパートナーシップにより、今では200万人のウガンダ人の生活を支援しています。2016年までにその数は2倍を達成する勢いです。BRACが紛争地域だった北部に設立したSecond chanceという小学校では、Konyにより拉致された子供達を含め既に1万3000人のウガンダ人の生徒に教育の新たな機会を与えています。

This is what we mean by rebuilding. And these are the kinds of partners Ugandans need—not looking upon us with pity, hoping to save us, but standing with us in solidarity as we build a better future.

これが私達の考える再建です。そして、こういったパートナーをウガンダ人は必要としています。哀れみの感情で見るのでもなく、救ってあげたいと思うのでもなく、より良い未来を築くために私達と連帯感を共有し参加してくれる人が必要なのです。

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