2011年3月12日土曜日

記憶

お父さんと妹は普段なら車で30分くらいのところ、13時間かかって今朝帰宅。



2005年の7月23日にも首都圏で大きな地震があった。
交通も止まり、帰宅難民という言葉を初めて聞いた。

悲しいこともあった日。
地震以外にも怖いことがあった日。

忘れられるわけがない。



このようなかたちで3月11日を記憶していくのか。
この先こんな日が増えてほしくはないいけれど、ないとは言えない。
だから忘れないようにしなくてはいけないのかもしれない。

2 件のコメント:

  1. 仙台市宮城野区に住んでいる友人は避難してました。いくつかの日本のテレビ局はニコニコ動画でニュース配信してるらしいです

    返信削除
  2. さわへ

    よかったね。

    夜の寒さと暗闇、昼の日のもとでの光景。どちらも決して望むものではないだろう。
    こういうときにこそ、想像力をはたらかせるべきだね。個人としてなにができるかわかってくるかもしれない。

    返信削除