2011年11月14日月曜日

からっからの日本橋に魚

9月日本滞在中のこと。


お母さんと日本橋に行きました。


「こりゃ、なんなんだ?!」というぐらい照りつける太陽。
マレーシアで浴びる太陽より強烈な気すらするのは気のせいだろうか?



日本橋の欄干から見下ろせば水が見える。

上に通る首都高には水の波紋のようなデザインが。そんなこと今まで気がついたこともなかった。
予備校時代、建築学科志望の学生は竹橋辺りの首都高高架をデッサンなんかしていたっけ。

この辺りの首都高を地下にするなんて話を耳にしたこともあるけど、こういった配慮(波紋のデザイン)があったことも発展する時代と在りし日の姿を残そうとする努力が見えていいと思うんだけどな。
景観という点からは再考するというのもありなのだろうけど、このために用いられた技術などがまた歴史として残っていくのもありだろうと思う。


高校生時代、日本橋には東急百貨店があってそこの本屋では別マが立ち読みできた。今はコレド日本橋。
橋を渡ると見慣れた三越があったけど、その先は新しい立派なビルが立ち並んでいた。
そこにコレド室町っていうのができていた。
ここへ至る道すがらは、ニューヨーク金融街みたい(行ったことなんてないけど)?行き交う人も日本人ばかりでなかったしね。江戸時代ほどの活気があるのかは知らないけれど。


建物の中に入るとフロアごとの壁面はまさに水の波紋を表現していた。
素敵だね。
どんなにその土地が新しく生まれ変わっていっても、こういうところに重要なエッセンスが表現されている。


そこから少し歩いて金魚に関する展示を見た。

金魚らは何も知らずに泳いでいるし、訪れる人はひたすら写真を撮っているし、なんだか???
たしかに綺麗なんだけどね。
自分だって写真を撮るのだから他人ごとではないけれど、写真って記録に残すのにはいいけれど、肝心の自分自身の頭の中に残る量を少なくしてしまうのじゃないかと思う時がある。頭の中に残す努力をさせないというか。。。

そしてこの展示、金魚を見せているのだけど金魚の説明は少ないし、時代背景の説明も少ないし、おまけに飾られている浮世絵もコピーで額装も気を使ってなかったし、浮世絵の説明もなかったし、なんかスペースを埋めるのに必死なように見えた。
せっかく空間的な演出に金魚を用いているのに、全体感はいまいちだったなぁ。しかし、飲食店やホテルなんかにはいいアピールなんでしょうね。

こう考えてみると、美術館やギャラリーなどで大きな空間をもたすことのできる作品というのはすごいのかも。作品の大小にかかわらずね。
まぁ、わたし自身がそういうひいき目で見てるってことなんでしょうね。。。



お母さんと日本橋紀之重というところで遅いお昼を食べて帰宅。
やっぱり魚っておいしいね~





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