2010年3月23日火曜日

言語のスイッチ

日本では日本語だけで通じるのが実はすごいことなんじゃないかなぁ。
その人の暮らす環境にもよるのだろうけど。

テムズフェスティバル

イギリスで私たちが住んでいた地域はけっこうコンサバなエリアだったせいか、アジア人があんまりいなかった。近所のコミュニティスクールの英語コースでもクラスメートのほとんどがヨーロッパ出身だった。たいてい、みんな住み込みで子供の世話や家事をこなしながら学校に来てたな。
反対にロンドンのような都会の英語学校では、ほんとにいろんな国からみんなやって来ていた。わたしよりも若い人たちが多くて、みんな英語の勉強とともに海外での暮らしを楽しんでた。自分の国に帰ってからも、ロンドンにいたときのことをよく思い出すみたい。
ロンドンは誰がイギリス人か、どこからがイギリス人なのかはわからないほどに、多くの人が違う国から来ている。わたしは自分の住む地域が好きだったけど、自分が違っているのをすごく実感させられるようで落ち着かないときもあった。ロンドンに行くと、自分が違っていることが当たり前のことで多くの人の波に混ざりこんでいる感じに安心感があるような気がすることさえあった。自意識過剰かもしれないけど。


今日は家族の言葉について。

わたし―日本語、英語(少し)
旦那さん―英語、日本語、マレー語、ヒンディー語(話さないけどわかる)、グジャラティ語(話さないけどわかる)
おかあさん―英語、マレー語、ヒンディー語、グジャラティ語、ウルドゥー語、アラビア語、ラテン語
おにいちゃん―英語、マレー語、ヒンディー語(話さないけどわかる)、グジャラティ語(話さないけどわかる)、日本語(ほんの少し)
おにいちゃん奥さん―英語、マレー語、福建語
姪っ子―英語、マレー語(少し)、福建語(少し?)
おじさん1―英語、マレー語、ヒンディー語、グジャラティ語、日本語(ほんの少し)
おじさん2―英語、マレー語、ヒンディー語、グジャラティ語
おばさん1(シンガポール出身)―英語、マレー語、ヒンディー語、グジャラティ語
おばさん2(インド出身)―英語、マレー語、ヒンディー語、グジャラティ語
いとこ1―英語、マレー語、ヒンディー語(話さないけどわかる)、グジャラティ語(話さないけどわかる)
いとこ2―英語、マレー語、ヒンディー語(話さないけどわかる)、グジャラティ語(話さないけどわかる)

わたしのことは置いといて。。。
家族のメンバーがこれだけの言葉をわかるって不思議。育ってきた環境によるところも大きいのだろうけど。

わたしと旦那さんは普段日本語の会話で、メールとかメモは英語。
わたしとおかあさんは英語。おにいちゃんやおにいちゃんの奥さん、姪っ子とも英語。

旦那さんとおにいちゃんは職場では英語。買い物や外食では英語かマレー語。
おにいちゃんは日本にも度々行ったので、ちょっとした日本語単語がわかる。
おにいちゃんの奥さんは、実家では基本英語で時々福建語ミックス。
おかあさんはテレビではほぼインド語の番組を見て(もちろん英語の映画も観る)、マーケットではマレー語、買い物ではマレー語か英語、親戚と話すときは英語とインド語ミックス。時々、アラビア語。
姪っ子は今のところ英語。でも、単語はいろいろ。
おじさん、おばさん、いとこが集まるときを含めて、家族間では英語。おかあさんやおじさん、おばさんはインド語もミックスする。おじさん1は日本の占領下で学校に通った経験があるので(半年ほど)、ほんの少しの日本語単語を知っている。
時々、おかあさんの知り合いなんかにも会う機会があるけど、そこでもみんな英語。ここはマレーシアだけどさ。
※役所関係やドキュメントはマレー語だな。あと標識か。

いつも疑問に思うんだけど、これだけ違う言葉が頭の中にある人はどうやってスイッチを切り替えているんだろう?おかあさんに一回聞いてみたら「意識なんてしてなくて、自然よ」とのこと。おばさん1も同じことを。

わたし自身はたぶん「よし、切り替えて」って感じでやってるからあんまりスムーズじゃない。頭の中で考えてる時間のほうが長いのかも。英語と日本語だけの状態での話だけど。これはいつまでたっても物事の考え方、組み立てが日本人的だってことを表してるのかなぁ。

わたしの旦那さんはマレーシア人であるけど、自分のfirst languageは英語だって言う。まぁ、家族間は英語だし、育ってきた時代の教育制度なんかも関係してるのかな。日本の生活が長かったのとわたしと日本語会話だから、マレー語のほうは忘れてきているらしい。今は戻ってきているようだけど、半年前に帰ってきたころはマレー語の中に日本語が混ざっていた。時々、思い出せないこともあった。

おかあさんのお隣さんたちはチャイニーズ、マレーいろいろだけど、ほとんどお互いに英語。というのも、建てられた家が公務員向けだったせいかほとんどの人が英語を話すんだって。そこでもマレー語が選ばれないところが住民の世代を感じさせる。あ、でも、旦那さんと同じように子供たちの世代も英語だ。


違う言葉で自分の気持ちを満足に表現できればいいな。
スイッチの存在なんか忘れてさ。




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2 件のコメント:

  1. しかしお母様達は凄いですね。

    確かに言語切り替えのスイッチってどうなっているのかと考えることがあります。

    日本語ペラペラの白人に話しかけられると、彼が日本語をしゃべるわけがないときっと私は信じているのでしょう、私の返事は英語だったり。また日本人、英語人と混ざって飲んでいると、次第に自分は何語をしゃべっているのか分からなくなる時があります。

    私の叔父がアメリカの日系二世でバイリンガルなんですが、XXXXってなんて言う?と聞くとすぐ答えが出て来ないんですよ。いつも考え込んでいます。ただそれを観察していると、対訳として頭に入っているんじゃなくて、その言葉を言う場面に自分を持っていって、多の言語でなんというのか湧き上がる物を待っているように見えます。

    きっとこれが言語を覚えるポイントで、対訳で頭に入れようとしている限り駄目な様な気がしています。つまりスイッチがないというそれこそがポイントの様な・・・・

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  2. dabo_gcさん
    何語をしゃべってるのか分からなくなるって、なんか可能性を感じます。何語でも話せるようになるんじゃないかしら。と。

    わたしが質問すると、旦那さんも叔父さんと同じような感じになります。そして、どういうシーンでかっていう前後関係を聞いてそれから答えてくれますね。

    スイッチなしで生きられるようになるには、もっと英語生活しないといけないんでしょうねぇ。。。

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